December 24, 2005

バックパッカーイギリス編~さようならありがとうイギリス!

今日は日本に帰る日だ。昨日、お土産をあまり買えなかったので早めに空港へ行き、免税店で探そうと思案。すっかり慣れ親しんだ英国式の朝食を食べ、ホテル代の精算をする。ママが「またロンドンに来たときは寄ってちょうだいね。仕事、がんばって!」と言ってくれて、泣きそうになった。

荷物を整理してバックパックに詰め、身支度も整えて空港へ向けて出発した。すっかり乗り慣れたチューブ(地下鉄)とも今日でさよならだ。最初は切符の買い方も分からなくて、ドタバタしたけどもう慣れてしまった。

ヒースロー空港に着き、matsu-raとhon-daと合流し、来たときと同じヴァージンアトランティック航空にチェックイン。荷物がだいぶ重たくなっていたので、追加料金を取られるかと思ったがセーフだった。

免税店に向かい、友達へのお土産を探すと、あるわあるわ!さすが空港だけあって、イギリスを感じさせる土産物がたくさんあった。色々ありすぎて迷いながらも購入し、機内持ち込み用の小さい方のバックパックに詰めた。
搭乗時刻まで余裕があったので、最後のギネスビールだ!と3人で乾杯。2杯も飲んでしまいトイレが近くなる。ちょっと失敗した。

いよいよ飛行機に乗り込み、席につく。やがて離陸。眼下にイギリスの街並みが見える。
この一ヶ月間、楽しいことやアクシデントや色々あったけど本当にイギリスに来て良かった。人の優しさが充分伝わってきたし、イギリスの厳しい自然や、都会だけどそんなに派手ではない慎ましい面も見ることが出来た。
イギリスは、お金持ちな国ではないようだけども、そこに暮らす人々の生活はお金とは違う概念で豊かで、ゆったりとしているようだ。これで曇天続きじゃなくて晴れてばかりの国だったら最高なんだけど。

af_narita01そして無事に成田へ到着。機内は3人並んだ席を取れたので楽しく、快適でした。今度はいつ乗れるんだろう、あんないい飛行機。
af_narita02これが到着時の私の姿です。背中に背負っているのが、メインのバックパック。前に下げているのがロンドンで買った小さいバックパックで、この中にお土産が詰まっています。
成田からの帰り、荷物が多くてなかなか大変でした~。
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あの卒業旅行から、もう12年が経とうとしています。大規模なテロがあったりして悲しい気持ちになることもありましたが、またいつかイギリスを旅してみたいです。子供たちが大きくなって、「海外旅行に行きたいんだけど、どこがいいかな?」と相談してきたら、「イギリスは良い国だよ。一度は行く価値があるよ」と勧めたいとおもいます。そのためにも、早く安全な国になっていって欲しいと思います。

長きに亘って書いてきた、バックパッカーイギリス編も今回で終了です。最後まで読んで下さった皆さん、ありがとうございました。
その後、社会人になってからも放浪旅行はやっていて、順番から言うと次回はフランス編、そしてイタリア編へと続くはずなのですが・・・写真と旅の日記帳を捜索しないと書けません。気長に待っていて下さいね! by satoru-ball

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December 22, 2005

バックパッカーイギリス編~ロンドン最終日

朝食をとってから二度寝し、10時くらいに外出。今日はお土産を買うための日だ。

まずはLong Arceへ行きゴルチェの香水などを購入。
次はハロッズという百貨店へ。土産物コーナーと思しき、チョコや紅茶がたくさん並んでいるフロアに行ったが、めぼしい物が無く、結局何も買わずに外に出た。明日のヒースロー空港に賭けることにする。早めに空港へ行こう。
三越の場所を確認してから、腹ごしらえ。ミンチとポテトをパイ生地で包んであるやつとチップスとビター(ビール)。すっかりこの生ぬるいビールを好きになってしまった。あぁ、日本に帰ってからも昼間から飲めたらな~!

次はお袋へのお土産、マッピン&ウェッブ(M&W)の銀製の紅茶用茶漉しを三越に買いに行く。地下に降りて探すが見当たらない。お姉さんに聞くと品切れとの事。「陶器のならございます」と言われるが、是非ともM&Wの銀製のが欲しいと言うと「一番確実なのは、M&Wのお店に直接行くのが確実ですね」と言われた。「えーっ!こんな汚い服装でも(と言ってもその時点では一張羅)大丈夫でしょうか??」と聞くと大丈夫と言われ、お礼を言ってドキドキしながらM&Wのお店へ向かった。

M&Wは高級銀製品のお店なので、思わず街角のショーウィンドウで身だしなみを整えてしまった。店内に入ると、うわー!銀が光ってる!そしてお客さんが少ない・・・ヤバイ。違う世界がそこにはあった。1階をうろうろするが目当ての物が無いので2階へ上がった。だいたい110£のものに見当をつけてから、店員のお兄さんに「茶漉し(英語では“ティーストレーナー”ということを三越で教わっていた)を探しているのですが」と話しかけてみた。「銀製のですと110£からになりますが、メッキですと安いですよ」と言われた。「母の日に贈ろうと思っているのと、お土産としてなので銀製のをもらいます」と言って、見当をつけておいたシンプルなデザインのを買う。格好いいのだと185£だったが、無理はできない。
VATの手続きをしてもらったり、包装してもらっている間に、同じカウンターに日本人の女性が座った。「失礼ですが、日本からですか?」と尋ねると「いえ、今こちらに住んでいるんですよ」と品良くお答えになった。「ご旅行ですか?」と聞かれたので「卒業旅行で、あす日本に帰るので、紅茶好きの母に土産です」と答えると「あらまあ。親孝行ですね」と言われた。「いい記念ですね、4月からお仕事がんばってくださいね」と言ってくれた。有難いことだ。その間に店員さんが用紙をつくってくれ、手続きを説明してくれた。こんな身だしなみの私に親切にしてくれてありがとう!

tems-crews01一仕事終え、テムズ川のクルージングに出かけた。グリニッジまで5£。1時間くらいかけて英語の説明を聞きながら川を下っていくのだが、デッキに座っていたので寒くて寒くて、しまいには船室内に入ってしまった。
tower-bridge川面から見るタワーブリッジはとても高く大きくて感動した。こんな大きなのを開閉するなんて、よく作ったなと改めて感心。
london-touロンドン塔も正面から全体が見られてよかった。
グリニッジでは、川底トンネルをくぐって対岸へ行ったり、天文台を外から見学したりした。夕景もきれいで、来てよかったと思った。

列車でロンドンに戻った。リージェントストリートを歩いていたら、肩を叩かれびっくりした。なんと、matsu-raだった。すごい偶然だなあ。土産物を探し回っていたらしい。
彼はホテルに荷物を置きに戻ったので、19時くらいまで一人でフラフラする。
リージェントストリートって、じっくり見るととても楽しく、またファッションの組み合わせの勉強にもなる。自分もその歳相応に似合うチェックを見つけて、身に付けたいな。歳をとっても。

19時に集合場所のトラファルガー広場へ。hon-daも到着し記念撮影などをしたあとお決まりの中華街で夕食を一緒に食べた。ビールを1パインと頼んだのに1.5パインとのジョッキが来た。英語、まだまだ未熟だなと痛感。

今日は結局、香水とスーベニアスプーンと茶漉ししか買っていない。あす空港で探してみよう。

この日の昼間、PUBを探してうろうろしていたら、白人の女の子2人組に声を掛けられた。「すみません、トラファルガー広場って何処ですか?あ、ちょっと地図を見せてください」と言われる。道の脇に寄って地図を広げ、「今いるのがこの辺りだから、まっすぐ行って右に曲がると行けると思うよ」と教えて上げた。「ありがとう!バイバイ!」と手を振ってくれた。プリティーガールやね。でも何で、俺なんかに声かけるかね?? by satoru-ball

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December 10, 2005

バックパッカーイギリス編~ロンドンへ回帰

朝起きたら、天窓をバチバチと雨が叩く音がする。すごい雨だ。
少しゆううつな気分で身支度をし、そして巨大なビニール袋をザックの内側に入れ、そこに荷物を入れ直した。これで荷物は雨から守れるだろう。段々と荷造りが上達してくるのが分る。昨日、お土産に買ったチョコ12箱もすっぽり入ってしまった。

昨夜、洗濯物を乾かす間に窓を開けて手紙を書いていたためか、少し風邪気味のようだ。最後まで気を引き締めていこう!と一人で気合を入れなおす。

ダイニングに下りると、先客のおじさんがいた。おはようございますと挨拶をして席につく。ご主人が来て、「おはよう。○○と△△と××とコーンフレークがあるけど、どれにする?」と聞かれたが、コーンフレークしか聞き取れなかったので、それにした。英国の牛乳は濃くてうまいので良い。コーンフレークと紅茶に使ったミルクポットに、ご主人がミルクを足してくれた。初めてのサービスだ。嬉しい。メニューはいつもと同じだったが、今日はたくさん動くと予想して、トーストを2切れ追加した。

朝食後、宿代をチェックで支払う。隣の席のおじさんが席を立ちつつ「雨だねえ。残念だが。今日はどうするんだい?」と尋ねるので「今日はロンドンに戻ります」と答えたら、「それはいい考えだ」と言っていた。ご主人が「昨日はいい一日だったかい?どこへ行ったの?」と聞くので、「徒歩とフェリーでニアソーリー村まで行きました。ヒル・トップは閉まっていたけど」と言うとびっくりした様子。「ヒル・トップは冬場は閉まっているらしいんです」というと納得してくれた。

部屋に戻って身支度を整え、玄関へ。ご主人にお礼を言ってホテルを出発。きれいな部屋をありがとう。ここの紅茶は美味しかったな~。

外に出ると、雨は小降りになっていて、助かった。途中の郵便局で、昨日の夜に書いた手紙を送った。
駅に到着し、ホームへ向かって待合室に入った。この街もいいとこだった。ソールズベリーやバースほど素朴じゃないけど、思ったより観光ズレしていなくて色んな人に親切にしてもらった。今度は彼女か奥さんと、冬以外の季節に来て見たいと思った。

列車が来たので乗り込み、オクスンホルムへ。そこで乗り換えてプレストンへ。なんだか予約席が多くて、こっそり「プレストン~オックスフォード」の予約席に座らせてもらった。プレストンでまた乗り換え。この列車もリザーブが多かったが座れた。うつらうつらしたり、サンドウィッチを食べたり、ロンドンでの買い物作戦を考えたりする。カリマー(ザックのメーカ)とゴルチェの香水の店の場所を、日記とakaneが残してくれたアドバイスを元に思い出す。カリマーは最初の頃に行ったチャリングクロスロード、ゴルチェはコベントガーデンの少し北だろう。

そうこうしているうちに、チューブ(地下鉄)と並走したりしだす。今どこだ?と思っていると、予定時刻よりもだいぶ早くコーストンに着いてしまった。「なんで鉄道が時刻表よりも早く着ける!?」と慌てて荷物をまとめて下車。終点だからいいんだが、車庫行きはいやだし。

なんだか、とても懐かしい。たった10日ぶりのロンドンなのに。いつもakaneやhitomiと待ち合わせしていたインフォメーションの横を通り過ぎ、キュンとなった。自分も明後日には日本に帰らなければならないのか。寂しいような嬉しいような複雑な気持ちがした。本当に楽しい旅行だったなあ。本当に。

慣れた道を歩き、Jesmond Hotelへ。一瞬、他のホテルに泊まろうかとも思ったけれど、慣れたB&Bのほうが休まると思い、直行した。チャイムを鳴らすと、おばさんが出てきた。シングルの部屋が取れたが、どうも私のことを忘れているようだ。「覚えていますか?」と尋ねると、「ああ、2週間くらい前でしょ!?」と気付いてくれて、前と同じ2号室にしてくれた。ここは中庭が見えて良いのだ。

慣れ親しんだ部屋に入り、落ち着いた気分になる。少し休んでロンドンの街に出た。歩いて、トッテナム・コート・ロードを南へ。まずはカリマーの店を探す。チャリングクロスロードをだいぶ南下するけど無い。akane&hitomiたちと3人でパスタを食べた周辺も見たけど無い。また来た道を戻っていると、やっとあった。死角があったのね。
店のお兄さんに色々聞いて、緑色の20Lのザックを購入。これにお土産を詰めて、機内持ち込みで帰ろうという作戦だ。スウェーデンからのおばさん三人組が来て、店の人とわいわい喋っている。ザックのインナーの袋が欲しいらしい。そのときチラッと、バックルの変わったのが見えたので見せてもらった。バックルじゃなくてバックル用の鍵だった。こんなの初めて見る。面白いので1つ買った。

続いてゴルチェを探す。列車の中で地図を見て目星をつけておいたLong Arceという通りに行くとあっさり見付ける事が出来た。手首に付けて試すことにする。明日も開いてますか?と店員さんに聞くと、とてもにこやかに「開いてますよ」と教えてくれた。これは明日買うことにする。

また歩き出し、ウォータールー橋まで散歩。この橋は映画「哀愁」の舞台となった橋らしい。けど、なんのことだか分からないので感動できない。
だいぶ日が長くなり、18時なのにまだぼんやりと明るい。夜景、というか夕景がとてもきれいでした。橋の上に佇み、これまでの旅のことを考えていると、帰りたくないなあ、会いたい人がこっちに来てくれたらいいのにななどと思った。

ホテルへの帰路につく。と、肉の塊を回転させつつ焼いている店があった。面白いので見学。けっこう繁盛しているようだ。ウェイターのお兄さんが「どうだい、入らないかい?」と声を掛けてくれた。空腹だったし、喉も渇いていたので入る。「あの回っているのは何ですか?」と尋ねると「ラムだ。美味いよ!」と教えてくれた。ふと横に視線を移すと、骨付きの肉がこれまた“回転あぶり焼きの刑”にされている。ラムの足の肉だというので、それとビールを頼んだ。
料理が運ばれてきた時、どこの国の料理か聞きたかったのだが上手く通じず、「OK!」と言ってチリソースとナンを運んできた。ち、違うよう!でもナンも初めてだったので食べてみることにする。肉はとても旨味があり、適度な歯ごたえもあり、チリソースはとっても辛く、ナンに肉を包んでチリソースを付けて食べるとなんともビールに合うのである。大満足!会計を頼むと、肉とビール代しか書いてない。ナンはサービスしてくれたのかなあ?ありがとう、おじさん。おじさんがやって来て「うまかったかい?」というので「とってもうまかったです!」と答えた。すると「どうもありがとう。日本語で“サンキュー”は何て言うの?」と尋ねるので教える。ザックを背負い、席を立つとおじさんが「アリガト!サヨナラ!」と叫んでくれた。フレンドリーな人だ。店にかかっていた曲からして、きっとブラジルかメキシコの料理だと思う。

トッテナム・コートを戻る途中、朝日新聞が1.5£で売られていた。高いのか安いのか分らなかったが、疲れていたし、どうせ読まないだろうと思い買わなかった。
ホテルに帰りシャワー。荷物の整理。洗濯。もうリズムが完成されている。早いけれど、今日はもう寝よう。明日は買い物に走り回るのだ。
ロンドンて、なんて疲れる街だろうと思っていたけど案外狭いし、一人で勝手気ままに歩くには楽しいな、と今日思った。 by satoru-ball

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November 29, 2005

バックパッカーイギリス編~湖水地方・ピーターラビットの故郷へ

今日はいよいよ、ピータ-ラビットの生まれ故郷、ニア・ソーリー村があるウィンダミアへ向かう日だ。
8時半に朝食、イギリスに来て初めてスクランブル。エッグが出された。9時にチェックアウト。おばさんが「残りの休日を楽しんでね!」と見送ってくれた。結局ずっと、シングルの料金でダブルの部屋に泊まらせてもらった。ありがとう、居心地良かったです。

9:25のバスでウィンダミアへ向かう。2階建てバスだったので、2階の1番前に座ると、隣に外人の若者が座っていた。どこから来たの?と聞かれたので、「日本から」と答えると「ああ、いや今までどこを周って来たの?」と言われ、「ロンドンから反時計回りでエジンバラ、ネス湖を回って南下して、湖水地方まで来たんだ」と答えた。彼にも「どこの国から?」と尋ねたが、知らない国名(ブーリタニアとか言った)を答える。分らないというと「とっても遠い国さ」と言う。「インバネスとネス湖はどうだった?」と聞くので「寒かった!雨も降った、けど晴れればいい眺めだろう」と答えた。
どこに泊まったのか尋ねられたので「僕はずっとB&Bだ」と言うと「え!?ユースホステルは無かったの?」と驚かれた。「高いのに!」という意味だろう。「B&Bのほうが快適だから」というと納得してくれた。エジンバラからネス湖まで列車でどのくらいかかるのか?と尋ねられたので、「時刻表を持ってるよ」と言ってザックから出すと「でっかい時刻表だなぁ!」とまた驚かれる。「うん。大きいし重いので、土産が買えないんだよ・・・」というと大笑いしていた。
彼はこれからランカスターまで行き、海沿いを列車で通ってカーライルへ行くそうだ。その列車からの眺めが素晴しいらしい。

彼としゃべっていて、難しいことを聞かれて、単語を探しながら一言ずつ区切って話すと「ごめん、早く喋ってくれないか?」と言われる。大学の研究室のM助教授が「ネイティブの人って、ゆっくり喋れないみたいだよ」と言われていたのは本当らしい。
ときどき雲の切れ間から太陽が見えると、彼は「太陽だ!もっと照ってくれ!」と叫ぶ。曇り出すと「グッバイ!サヨナラ!」とまた叫ぶ。曇りは嫌いなんだそうだ。彼は5ヶ月間も旅を続けているらしい。行った国の名前を言ってくれたが、ヨーロッパはほとんど踏破している。すごいなあ。
ウィンダミアに着くと、「ここがキミの場所だよ!」と教えてくれた。「幸運を!そして沢山の日光を!」と言って笑いながら別れた。

バスを降りて、”i”へ行き、15£位で液の近くの宿を探してもらうが見付からず、結局18£で歩いて8分くらいのところに決めた。B&Bへ行くと、気のいいおじさんが迎えてくれた。これまでのように大きな部屋ではないけど、シャワーもトイレも天窓も付いている。テレビもあった。ティーセットまで置いてあった。「なにか必要なものはあるかい?」と言われ、「いえ、さっきiでもらったもので十分です」というと、OKと言って何かあったらベルで呼んでと言ってくれた。

バックパックを下ろし、小さいザックだけで銀行へ。150£を両替した。また3.50£の手数料を取られた。なぜ~?でも窓口のおばさんが地図をくれた。
空腹だったけど、Hill TopのTower Bank Armsで食べたいので我慢し、ボウネスへ向けて歩く。でも途中であまりの空腹に、サンドウィッチとオレンジジュースを買って食べた。
ボウネスは坂に立つ街だ。その路を下ると湖なのだ。
まずが「ヴィアトリクス・ポターの世界」という、ピーターラビットの著者であるポターを紹介する博物館に寄った。ポターが何をきっかけにあの話を書いたのか、どんな所で書いたのかなどを日本語説明つきのビデオで見た。なんでか知らないが、目頭が熱くなってしまった。
p-rabそのまま、キャラクターの人形たちが居る部屋へ。ピーターラビットやジマイアさん、子猫のトムなどが、ストリーに沿って作られていた。かわいかった。

外に出て、土産物を物色。キャラクターの形をしたチョコの詰め合わせを発見。店員さんに聞くと18時までは開いているという。帰りに寄れたら寄ろう。
坂を下ると船着場に出た。白鳥や鴨が群れていて、近寄っても逃げない。逆に一羽の白鳥が上陸して、こっちに近付いてきた。けっこう背が高いのでビビった。自分の胸くらいの高さがあった。
ローカルフェリーの乗り場が無い。ウィンダミア湖周遊のばかりのようだ。さらに先に進むと、やっとあった。
ferry-noriba最初、まだフェリーは着いてなくて、桟橋に車が止まっていてその横に料金所があるのかと思ったら、それ自体が船だった。料金を払うとすぐに動き出した。どうやら私がとぼとぼと歩いてくるのを見つけて、待ってくれていたようだ。5分もかからず対岸へ着く。家族連れのおじさんと挨拶を交わす。

ushi道は急な登りだ。でも景色はいい。ウィンダミアの向こうに、さっきまでいた街が見える。丘には羊や牛、馬もいた。空は晴れていて気分がいい。足取りも軽くグングン登る。
ニア・ソーリーは船着場から2つめの村だと言うので歩いていたが、1つめの村を過ぎたところで前を歩く夫婦につられてコースアウト。予定外のfootopathを行き、コースに戻る。でも柵の外を丘と羊と空を見ながら歩くのは、気分爽快だった。
far-kanbanしばらく行くと、ファー・ソーリーという看板が出た。目指すニヤ・ソーリーは近いはずだ。
さらに歩くと、ニア・ソーリーという看板が出た。
hill-topしかしHill Top(ピーターラビットの作者である、ポターが住んでいた家)が見当たらない。closedでもいいから、一目見てみたい。しばらく探しまわるが見付からない。ガイドブックを取り出して建物の写真を見ると見覚えがある!来た道を戻った。オフシーズンなので看板を取り外してあり、何よりもとても小さな家(というか小屋だ)なので気付かなかった。本当につつましく、でも自然の豊かな家だった。

目的を遂げ、Tower Bank Armsへ食事に行くと、「ごめんなさい。いま閉まっているの」と言われ、仕方なく小さな湖の方へ歩く。“Howkshead”という標識がよく出るので、本で見てみると、ワーズワースの通ったグラマースクールのある村だ。遠そうなので行くのはやめて、湖から流れる小川の側でブラブラした。
100hituji帰りはfootpathを通ることにして、牧場を流れる本当に小さな川に沿って歩く。山羊が私を見てびっくりして走って小屋のほうへ逃げていく。メエメエ。さらに歩いていくと、山羊たちを柵の隅に追い詰める形になってしまった。でも仕方が無い、出口がそっちにあるんだから。と、思いつつ歩いて行くと今度は山羊か羊が逆襲してきた。遠くにいたやつらがみんな走ってこっちへ向かって来たのだ。正直言って、恐怖だった。100頭くらいの山羊に囲まれて、動きが取れなくなってしまった。でもじつは山羊たちは逃げ場を求めていただけだったので、難を逃れた。びっくりさせてゴメンな。

なんとか無事にフェリー乗り場へ戻ってきた。日本人らしき学生2人組がマウンテンバイクで下ってきた。久しぶりに日本語で色々としゃべった。京都の大学に通っているそうで、卒業旅行なのだが、一人は「もう1年、修行を積む」らしい。要するに留年だ。彼らは5日間ロンドンに居て、今日ウィンダミアへ来て、いきなりレンタサイクルを見つけ、店員さんに勧められるがままにホークスヘッドへ行ってきたそうだ。「ホークスヘッドも、ニヤ・ソーリーも有名な所なんですよ」と言うと「何も知らずに通り過ぎてしまった」と笑っていた。エジンバラに明日行くそうで、色々と情報を伝えた。ハギスは結構美味くて、ビールのつまみに良いとか、ネス湖まで日帰りのバスツアーがあるよ、とか。「ありがとう!」と言われて別れる。いい人たちだった。

二人が自転車で去るのを羨ましく思いつつ歩く。ボウネスで目を付けておいたチョコを買いに行った。「3個しかないのですか?」と聞くと「いーえ、ちょっと待ってて。ほら一杯あるわよ。いくつ要るの?」と陽気な答えだ。12個貰い、丈夫な袋に入れてもらった。とてもにこやかに見送ってくれた。

パブレストランで、ビールとソーセージを食す。すごい量の野菜とチップス付きで、美味かった。
ウィンダミアの駅まで歩き、列車の時刻表をチェック。隣のスーパーでサンドウィッチの材料とプラムを買う。プラムは日本でも大好きなのだ。同じ味がした。
疲れたので、シャワーを浴びて寝る。あー、このチョコ12個、どうやってバックパックに入れよう?

明日はロンドンに戻る日だ。今回の旅も残りあとわずか。気を引き締めて行こう。 by satoru-ball

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November 01, 2005

バックパッカーイギリス編~湖水地方トレッキング#1

昨日は歩き回って疲れたので、よく眠れた。天気は曇り。
身支度をしていると、ドアがノックされ「朝ごはんよ~」と呼んでくれた。ダイニングの席につく。昨日泊まっていたのは私だけのようだ。
いつもと同じイングリッシュ・ブレックファーストが運ばれる。あれ?トーストが小さい。1/2枚しか皿に載ってない。少ないぞーと思っていると、もう半分が別に運ばれてきた。それはベーコンの脂でこんがり焼かれている。パリパリして美味しい!付け合せのベイクド・トマト(焼きトマト)にも慣れてきて、美味い。マッシュルームもたっぷりで美味しかった。

小さいザックだけ背負って、10時前にB&Bを出発し、“i”に天気予報を見に行く。晴れるが冷たい風が吹くと書いてある。でもいま小雨が降ってるんですけど・・・。
しかしトレッキングに出掛けることに決め、i を出発地点として約8km、3時間のコースへ向かう。昨日買ったコースの地図は、距離がメートルじゃなくヤードで書いてあるのでピンと来ない。それに、こういうふうに地図を使って、決まったコースを歩くのも初めてなので、距離感が無いのは少し不安だった。

最初は普通の道路を歩いていたが、左折してfootpath(歩き専用の路)に入るところを見逃してしまい、途中から強引にコースに戻る。昨日の雨で小川から水があふれ、路の上を横切って流れている。Dannerのブーツを信じて、流れの中を渡った。平気。コイツやるなあ!

気分を良くして歩いていると、人が木を切っていた。よく管理されている。石ころだったりグジュグジュだったりする路を、一人てくてく歩き続ける。まわりは、森と林。気分爽快だ。
af_treck01分岐路があり迷うが、地図をよく見て理解して進む。小川をまたぎ、斜面を越えていく。スタートして1時間半くらい経っただろうか、小さな滝みたいなところの上の谷に木の橋がかかっている。その手前に分岐があり、ひとつは上り坂だ。今回の旅の方向性として「メニューが読めなきゃ食ってみる。高い所があったら登ってみる。挨拶だけは忘れずに」というのがあるので、高い方へ進むことにした。

登りかけていると、犬が2匹下りて来た。何だ?と思っているとオバサン3人組も下りて来た。Hello!と挨拶。その先はかなり急な登りになった。崖といってもいいくらい。15分くらい登ると、さらに登る道と沢(といっても幅2mくらいの沢)を渡って対岸へ行くルートがある。対岸にも、細いがちゃんと路があるようだし、眺めが良さそうなので沢をそろそろと渡る。コケないように慎重に。幅は狭いが深さは結構ある沢だ。苔で足が滑る。落ちたら大変だ。リポビタンDの世界になってきた。でもCMのように助けてくれる人はいないので、より慎重に渡った。なんとか無事に渡り終える。

kakadaikaranonagame路をたどって歩き、丘の上を目指す。ふと、小路はあるが、今まであったような靴底の跡ではなく、ヒールの高い靴の踵みたいな足跡が多いことに気付く。「貴婦人が登山でも楽しんだのかな~」などと考えていると、今まで黒っぽい木の実だと思っていたモノが糞であることに気付いた。「ンメェ~」という声で謎が解けた。この山には羊だか山羊だかが放牧されていて、僕が「小路だ」と思ったのは彼らの通り道、つまり「ケモノ道」だったのだ!大きくコースを外れてしまった。でも見晴らしはいいし、天気も良くなってきた。

ashunessbridge02ケモノ道から元のルートに戻り、さらに歩く。いい景色だ。眼下には湖、上には山と空、流れる雲、そよぐ(いや、吹きすさぶ)風、鳥が鳴く。スタートから2時間くらいで、Ashness Bridgeに到着。湖水地方を代表する場所の一つと言ってもいいだろう。小川、湖、山、丘、岩、羊たちなど、湖水地方のシンボル的な要素が見事に配置されている。谷を流れる小川の向こうに石橋、そしてその奥に広がる丘、湖、山々。本当にいい所に来た!

surprised-viewそこから少し寄り道をして、surprised viewという看板に沿って歩くと、ちょっとした丘に出た。確かに湖を真上から見ることが出来、surprised!ナショナルトラストの募金箱があったので、ハーフ£入れたら、チャリ!と中にたくさん入っているような音がして嬉しかった。

下って湖沿いの道へ出た。鴨が水辺で遊んでいる。近寄っても逃げない。キミたち、私は鴨鍋が好きなんだよ!どこまでも長閑なので、senaka湖畔に佇み、これからの人生のことを考えた(うそ)。
路を歩いていると、夫婦で歩いている人がとても多い。おじさんとおばさん、おじいさんとおばあさんが多いが、若い人もベビーカーを押して歩いている。すれ違うと必ず、Hi!とかHello!と声を掛け合う。ああ、憧れるなあ、こういう生活。自然を愛しWalkingが好きな人と結婚したい。

所々にゲートがある。木で出来ていて、金具を外して通り、手を放すと石の重りで閉じるようになっている。家畜が逃げないようにするためだ。そう、私たちは牧場の中も歩かせてもらっているのだ。木の橋を越え、ゲートを通り水辺を歩いて行く。晴れ間も見え出した。そのまま歩いて行くと、昨日さまよった道に出た。ちょうど4時間かかった。寄り道もしたしね。

昨日の1/2チキンの店に行くと、改装工事をしていた。びっくりして外に出ると、大工さんが「上のレストランはやってるよ」と教えてくれた。礼を言い店に入り、fresh troutというのを頼んだ。スタウトビールを飲みつつ待っていると、鱒の蒸し焼きみたいなのが出てきた。たっぷりの野菜に埋もれて。切り身じゃない魚をナイフとフォークで食べるのは初めてだ。何かの本で読んだのを思い出して、うろ覚えで試す。うまく身が取れた。レモンを絞って食べるとあっさりしていて、でも美味くて満足した。

少し休憩して、2本目の5kmのコース、Castleheadへ出発。ラグビー場を抜け、地図どおりに歩くが路が無い。どうやら増水のために路が川になったようだ。少し戻って、柵を越え羊のいる丘をフェンス沿いに通り抜けた。途中で羊が一頭死んでいた。野犬か獣にやられたのだろう。自然の厳しさを感じた。どうにか地図にあるルートにたどりつき、進んでいくと山道になった。かなり険しく急な登りだ。あるところでは岩登りに近いような感じで、三点支持でよじ登らなければならない箇所もあった。落ちたら大怪我だが、その時は怖くなかった。怖いと思っていたら、落ちていたのかも。
keswick-machi30分ほど登ると頂上に立つことが出来た。すごい!ほぼ360度、視界が開けている。ケズウィックの街と湖、遠くの山や丘も見える。雲は多いが青空も見え、最高の気分だ。しばらくボーッとする。さすがに疲れた。昼食のビールは失敗だったかな?風も強いので、下ってB&Bのほうへ出てきた。

明日、ウィンダミアに行こうと思い、バスの時刻を調べに“i”に行くが、4時半にして閉まっていた。仕方なくバス停まで歩き、9:25のに乗ることにする。
近くのスーパーで、1.49£で容器に入れ放題のサラダバーがあったので、ライスを中心に盛った。ぎゅうぎゅうに入れてやった。栗のお菓子も買った。

夕飯はそれと、昨日買ったカップラーメンと洋ナシ。サラダは思ったより油っぽい。ラーメンもいまひとつ。でも洋ナシは美味かった!缶詰じゃないのを初めて食べたのだが、感動した。

B&Bに戻って、宿代を支払うことにした。トラベラーズチェック(T/C)でいいですか?と奥さんに聞いたら、ご主人を呼んできた。50£は不可というので、20£のT/Cと現金で払うことに。こっちの人はあまり現金を持ちたがらないようだ。カードがメインなのかな?

今日は歩き疲れた。トレッキングコースだけで13km歩いたことになる。しかし良い風景をたくさん見られたし、天気もまあまあで、怪我もしなかったので、とても充実したいい一日だった。ここで「ザブーン」と風呂に浸かれたら最高なのだが、今日も木場の丸太になるしかなかった。
明日はウィンダミア、そしてニア・ソーリー村へ。気をつけてこの調子で行こう! by satoru-ball

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October 30, 2005

バックパッカーイギリス編~湖水地方へ

さあ、いよいよ今回のイギリス旅行のハイライト、湖水地方へ出発だ。
しかし外はあいにくの雨模様。朝食を済ませ、宿のみんなに挨拶をして、3人でエジンバラ駅へ向かった。雨はイギリスに入ってから一番強い降り方で、パトロールジャケットのポケットの中が湿ってしまうほどだ。でも早足で20分歩き、駅に到着。9:05の列車に乗り込んだ。

kosuichihouhe列車の中でも、車窓は雨の風景が続く。でも窓からの景色は、いつ見ても面白いものだ。
10:43にペンリスに到着、他の2人に再会を誓って列車を降りた。hon-daはここまで来て、私が別行動を取ることを知ったかのように「降りちゃうの!?」という感じ。でもサラバなのだ。

駅前にバス停があり、今日の目的地、ケズウィック行きのがちょうど11:10に来るようだ。午前中は数本しかないバスだったのでラッキーだった。11時過ぎにバスが来たが、運転手さんに行き先を聞くと、あとからバスに乗りなさいとのこと。小さなバス停で雨から完全には守ってくれないので、少し濡れつつ待っていると、15分遅れで目的のバスが来た。

バスに揺られて30分ほどで、ケズウィックに到着。“i”を探してうろついたが、遠回りをしてしまったようで10分ほど本降りの雨の中を歩いてしまうことに。全身が湿って、少し落ち込んだ気持ちになる。“i”が混雑していたので、ガイドブックで調べたB&Bへ直接出向いたが、「改装中なの、ごめんなさいね」と断られた。そこの女の子が「この近所にもB&Bはたくさんあるわよ!」と教えてくれたが、少しブルーだったので“i”に戻った。
案内係のお姉さんは綺麗で、とってもチャーミングな女性だった。「13.50£の所があるから、電話してみるわね
」と言って電話してくれ、空きがあったので予約もお願いした。申し込みの書類を書くとき、ジャケットの袖が濡れているのを気にしていたら笑っていた。サインする場所を間違え、思わず日本語で「間違えた!」と言ったら笑いながらOKよ、と言ってくれた。

nimotu歩いて10分ほどの所にあるB&Bに到着した。出迎えてくれたのは、キャリアウーマンみたいな格好をした小母様で。最初はシングルルームに通されたのだが、寛いでサンドウィッチとミネストローネを食べていると、「もっと大きい部屋を使いたい?今日は空いているから使っていいわ。料金も同じでいいわよ」と言ってくれ、ダブルベッドのある部屋に移動。荷物を運ぶのも手伝ってくれた。サンクス!
湿ってしまった荷物をベッドの上に広げ、乾くようにした。

ジャケットも濡れてしまって、シュンとしているけど銀行と、バスの時刻調べと、ウォーキングコースの地図を入手せねばならないので、外出した。
まず両替をと思ったが、使いたい銀行が見付からず、後回しにしてバスセンターへ。案内所があると思いきや、端末が置いてあってそれで調べるようになっている。ウィンダミアへは1時間ごとに出ていることが分ったが、バタミア湖は載ってない。“i”へ行き、トレッキング用の地図を買ったついでに、「バタミア湖へ行きたいのですが」と聞くと「バタミア!?ちょっと難しいなあ。シーズンにしかバスは出てないんだ。歩くと2時間以上かかるし、きつい丘越えがあるから、難しいよ」と言われた。聞いてないヨー!
でもケズウィックの周りにもいいコースがありそうだし「じゃあ、この辺で楽しみます」とお礼を言って別れた。それから銀行へ行った。目指す銀行は“i”の脇にあった。が、手数料だけで3.50£も取られた。50£だけ両替。これで当分暮らす。節約節約だ。

keswick-walkingそのままぶらついていると、雨は小降りになった。湖畔に出る道があったので、てくてく歩く。いやー、荷物が無いと楽だ~。ダーウェントウォーターの周りもナショナルトラストで守られていて、小路のすぐそばで羊が草を食んでいたり、牧場の柵に扉があって出入り出来るようになっていて、変化があり楽しい。
そして、そんな林の中の道なのに、車椅子の人も入って行かれるよう、なだらかになるよう工夫されている。感心した。

スーパーで洋ナシとカップヌードルと牛乳を買って外に出ると、また大雨。PUBに逃げ込み、夕飯に「1/2チキン」というのを頼む。ビターを飲みつつ待っていると、本当にチキンが真っ二つに切られ、焼いたあと少し煮たようなのが、新ジャガとニンジン、キャベツと一緒に盛られて出てきた。豪快!これで4.45£は立派。肉が柔らかく、味付けも良くて美味しかった。

宿に戻り、バスルームへ。しかし見ればシャワーが付いてない。作家の林望先生も使い方が分らなかった、洋風のバスだ。湯を溜めて入るが浅くて、全身を温めるためには“バスタブの床に寝る”しかない。「俺は木場の丸太か!?」ってな感じ。
体を洗い、再び”丸太”になりお湯に浸かって泡を落とし、一度湯を抜いて新しいお湯を入れ直し、改めて体をすすいだ。
「頭はいかにして洗うのか??」苦悩した。結局、洗面台のシンクにお湯を溜めて、腰を曲げてそこに頭を突っ込み、なんとかした。でもその頃には体も冷えていて、ビールは美味くなかった。

明日から、憧れの湖水地方でトレッキングだ。胸がわくわくする。どうか晴れますように。 by satoru-ball

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October 20, 2005

バックパッカーイギリス編~エジンバラ観光

ネス湖から帰って、「良かったぞ」とhon-daに言うと、「じゃあ明日、一人で行ってくる」ということになり、今日はmatsu-raとエジンバラ市街を観光する。

9時半ごろに宿を出て、王室御用達のハギス屋に行った。ハギスというのは、「羊の胃袋に他の臓物とオートミールを入れて煮込んだ」、スコットランドの名物料理だ。その製造工程を見学しようというわけ。しかしお店に着くと「私たちも貴重な時間ですので、特別の予約がないとお見せ出来ません」とのこと。それもそうだと納得し、ショーケースの中の実物のハギスを確認して外に出た。

駅前のショッピグセンターのファーストフード店でもハギスが食べられると聞き、行ってみた。2.60£でミンチみたいなドライカレーのようなものに、マッシュしたポテトとカブが盛り付けてある。割りと美味。ビールのつまみとしてもいいだろう。内臓が材料だと聞いていたので、もっとグロテスクな物を想像していたが、問題ない範疇。

holyroodhouseその後、matsu-raと別れ、ホリールード宮殿と公園へ向かう。宮殿はいまも実際に使われることもあるというくらいなので、とても綺麗にしてあった。調度品は16~18世紀のものが多くて、欲しくなる。無理だけど。ベッドはやはり天蓋付きのお姫様ベッドだった。
宮殿を出て、一人公園の方へ歩いて行った。「アーサーの椅子」と呼ばれるすごく急な坂道を20分くらい登った。だんだんと眺めが良くなってくる。驚いたことに、オジサン2人が走って登ってくる。この坂を!?富士登山マラソンに招待したい。
ahasha-no-isukaraedinnbara-machi街の向こうの方の丘まで見える。海も見えた。強く冷たい風がビュービューと容赦なく吹いてくる。帽子が飛ばされそうなので、手に持ったままだ。指先もかじかんで来て、結局、てっぺんまで行くのは断念。2人組なら行かれたかな?
下る途中で、雲の切れ目から陽の光が差し込んできた(右の写真)。空から光の帯が垂れて、そこを歩いて神様が降りて来そうな光景だった。写真でうまく表現できてないのが残念です。

barumoraru-hoteruすっかり疲れてしまったので街まで降りて、バルモラル・ホテルにアフタヌーンティーに挑戦すべく行ってみた。これは夜に撮ったホテルの写真。重厚な感じです。まず玄関に入ってビビる。やあ、こりゃあ立派だ!旅人スタイルでは居た堪れない感じ。そしてホールを覗いて汗をかいた。あ~紳士と淑女が談笑している。上品だ!しかも私は一人。これはひとまず退散だと思い、外へ。冷や汗なのか、なんか汗ダクになっていた。もっと相応の歳になってからまた出直そう、と思った。

またハイ・ストリートの方へ向かう。リビング・クラフト・センターでキルトの織り方や、アラン・セーターの柄の意味などを学んだ。バグパイプが売られていた。650£もする。興味はあるけど買えない。別の店にネクタイを見に入る。2年間、バイト先で一緒にがんばった、taira-kunへのお土産だ。なんとなく「イニシャルの“T”の付くのがいいかな」と思って探していると、“Taylor"という名前のタータンを発見。これだ!と思って購入した。

両替に行き、「スコットランドの紙幣って、イングランドでも使えますか?」と尋ね、使えるというので明日用に20£を両替する。

再度、ハイ・ストリートへ。見つけておいたPUBでハギスを食べるのだ。このPUBの店員のお姉さん、顔はそうでもないけど骨格とか雰囲気が渡辺美里に似ている。可愛い!「席はどこにする?」と聞かれて「ここが空いてますよね?」と言うと親指を立てて「座って待ってて。ビールは運ぶから」と、チャキチャキしていて優しい。
「チーン」というレンジの音の後、ハギスが運ばれてくる。付け合せは昼のと一緒だが、美味い!ビールも含めて4£だった。ちなみにこの「Cheers cheers」というPUBのボスは、F1のN.マンセルの友達らしく、壁にマンセルのサイン入りの写真や、彼のマシンの写真が飾ってあった。でもただのファンだったりして?

宿に帰る途中、例によって明日の列車の中で食べるサンドイッチ用のパン、チーズ、ターキーのハム、キュウリを買いレジへ。レジの姉ちゃんに「このチーズ、臭うわよ。大丈夫?」と聞かれて笑う。このニンニクの臭いが好きなんです、と答えると「それはいいことよ!」とのこと。

明日はいよいよ湖水地方へ出発だ。トレッキングだ! by satoru-ball

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October 13, 2005

バックパッカーイギリス編~ネス湖へ

今日はmatu-raとネス湖に行く予定だが、ツアーバスのチケットを持っていないので、早めに支度をして集合場所へ行った。
思ったよりたくさんの人が並んでいて、みなチケットを持っていた。やがて50人乗りくらいのバスがやって来た。白人の女の子2人と私たち2人だけがチケットを持っていないようだ。「満席かどうか確かめるから、ちょっと待っていて」と言われ、みんなが乗り込むのをしばし待つ。15分位して、まず女の子2人が中へ招き入れられた。あー神様、あと2人乗せて!数分後「一緒には座れないけど、あと2人乗れるわ」と言われ、ホッとする。乗り込むと、一人で来ていた小父さんが「わしがそっちへ座るから、君たち一緒に座りなさい」と席を替えてくれた。ありがとう。
バスは北へ向かって走り出した。天気は曇り。どんよりとしている。

途中で寄った店には、可愛いのや格好のいいタータンチェックのネクタイが揃っていた。柄によって名前が付いている。“家紋”みたいなものなのかな?matu-raはそこで、寒さに備えてボンボンの付いた帽子を買った。

nesuko-tochuバスはまた走り出し、悲劇の峡谷グレンコーや、イギリスで一番高い山ベン・ネヴィスやフォートウィリアムの町を通って行った。外は横殴りの雨。ベン・ネヴィスの近くでの休憩時間、写真を撮りに外に出たら、コーデュロイのズボンが濡れてしまって冷たかった。上半身と靴は依然ノープロブレム。

その後、ドライブインで昼食を取ったのだが、同じバスに乗っていたお爺さんとお婆さんが全く英語が分らないみたいで、店員さんが「魚のフライはあと10分ほどかかります」と言っているのに、お婆さんは「フィーーッシュ!フィーーッシュ!」と叫ぶし、お爺さんはコーラのセルフサービスでコップでノブを押せばいいのに、手で押して、ごっつい手が他のノブも押してしまってドリンクをそこらに撒き散らす始末。たぶんイタリア語でしゃべっていたと思うのだが、私はイタリア語は分からないので呆然とそれを見ていた。。。

さて再びバスは走り出す。車窓からの風景は、日本では見たことのない荒々しさを感じるものだ。山が迫り、川はピート炭を含んでいるためこげ茶色の、でも透き通った水が激しく流れる。ずっと景色を見ていると、恐怖感すら沸き起こる。
強いて日本の景色を用いて、この景色を表現すると、川は茶色い水が日光の竜頭の滝よりも激しい勢いで流れ、その川の両側にはすぐ上高地のような険しい山が延々と続き、空は霧が濃く雨が横殴りに降っている、という感じか。
でもこれが、スコットランドの自然なのだ。

nesko
やがてバスはウルク・ハート城を経てネス湖のビジターセンターへ。ネス湖も天候はすぐれず、どんよ~りとしていて、「ひょっとしたら、ネッシーって実在するかも?」と思わせるような空気が流れていた。学生生活の間、世話になった叔父のために、スーベニア・スプーンを買った。ネッシーの人形が柄の部分に付いている。喜んでもらえるといいのだが。
nessyしばらくブラブラしていたのだが、ネッシーは現れず、再びバスに乗り帰路に着く。このバスのドライバーは、運転しながらガイドもしていて、「今日は日曜日なのでネッシーもお休みでしたね!あっ、でもあそこに小さいのが居ますよ!」と言われて窓の外を見ると、ネッシーの人形が。。。観光地ってイギリスでも日本と同じようなことをするんだな、と少し残念な気持ちになった。はは!

エジンバラに帰り着いたのはもう夜で、ドライバーに挨拶をして別れ、空腹を満たす店をmatsu-raと探すも、PUBでは食事を出していないようだ。幸いピザ屋が開いていたので入り、ピザを1枚とビールを頼んでいると隣の席でパフェを食べていたオバサマ4人組が話しかけてきた。聞くと、「私たちが持っている商品券(バウチャー)を使うと、プラス1ペンスでピザをもう一枚とか、パフェをもうひとつ頼めるわよ」とのこと。「ピザの商品券だけもらっていいですか?」とお願いすると「いいわよ。スターターやパフェもどう?」と言って、商品券をセットでくれた。ありがとう、淑女の皆様!

バスツアーで混乱を招いたイタリア人らしい老夫婦も同じ店に入っていた。「ピザか?ピザか?」と聞いてきて、そうですよと答えると帰りがけにも「ピザ食ったか?」と聞いてくる。食ったと答えたら、すごく喜んでいる。間違いなくイタリア人だ、と確信し会話を試みた。「ジャポネか?」と尋ねるので「そうです。あなたはイタリアの何処から来られたのですか?」と質問したら「フィレンツェさ」との答え。いい所だなあ、と思いつつ「僕はF1でフェラーリが好きです」と言うと「フェラーリか。モデナだねえ。トヨタも知っとるよ。ホンダももちろん知ってる」とえらくご機嫌だ。たぶん、昼食のとき飲めなかった(ドライブインに置いてなかった)ビールを飲んだのだろう、ジョッキが空いている。
イタリア人は陽気だと聞いていたけど、初めて接してよく分った。別れるとき「グッドナイト!」と言ってくれたので「バイバイ」と返事すると、お婆さんが「イタリアでは“チャオ”って言うのよ。チャオ!」と言ってくれた。なんか嬉しかった。英語が十分に話せない同士で、少しだけれど心が通じた気がした。最後は「さようなら!」と日本語で言って別れた。

今日は充実した一日で楽しかった。スコットランドの厳しい自然を見られたし、そんな険しい山にも羊がいて草を食んでいた。そしてハイランドの大自然。ロッホ・ネスの静寂。イタリア人老夫婦との顛末。お爺さん、分厚くて大きいいい手をしていたな。

今日のバスツアー代は20£。これだけ充実していれば安いものだ。明日からもいい旅を続けたいと思って、布団に入った。 by satoru-ball

追伸
この記事は旅行中、毎日書いていた日記をもとに書いているのですが、今日の日記の最後に「紙面が余ったので書くが、そろそろ誰か女の子と話しがしたい。」と書いてありました。たぶん切実な気持ちだったと思います。恥ずかしい・・・。

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October 10, 2005

バックパッカーイギリス編~エジンバラへ

edinbara-ye翌朝、3人でヨークを出発してエジンバラへ向かった。駅で時刻表を見るのも、英語だと分かりにくくて少し往生するが、無事に目的のインターシティ(鉄道)に乗り込むことが出来た。これまで鉄道の中からは丘陵しか見たことが無かったが、今日は初めて車窓から海を見た。曇っていたので真っ青な海とはいかなかったが、きれいな海だった。
intercity-goおよそ2時間でエジンバラに到着。この写真は乗ってきたインターシティという鉄道。なかなかカッコイイなぁ。また早速、駅の“i”へ行き、3人部屋を2泊予約する。予約代が3£もするだけあって、丁寧な受け答えだった。
B&Bまですこし遠いが、晴れていたので歩いて行ってみることにする。。。が途中で突然のあられ(orひょう)が降り出した。ジャケットのフードを被って歩いて行くと、またカラッと晴れ出した。スコットランドの天候はめまぐるしく変わるようだ。
B&Bには20分くらいで到着。部屋は3階の屋根裏だった。清潔でなかなか良い感じ。
すごーく腹が減っていたので、街へ出た。PUBを探していると、ものすごーく混んでいる店を発見!メニューが安い。それにしても、ものすごい盛り上がり様だ。とりあえず中に入ってみる。人混みの中、カウンターの方へ行くとテレビがあり、ラグビーのスコットランドVSアイルランドの試合を中継していた。これを見てワーワーギャーギャー盛り上がっていたのか!さすがイギリスだ。
edinbara-joチリビーフのパイとビターの食事を済ませ、エジンバラ城まで歩いて行った。最初に出来たのが7世紀とあって、かなり古びて暗い感じだが、高台にあるので街の眺めがとてもいい。風が強く、そして冷たい。「スコットランドに来たんだな~」と感慨に浸る。
帰り道、「ウィスキーセンター」という資料館を見つけたが、閉まっていたのでぶらぶら歩きながらタータンチェックのマフラーや帽子を見ながら街へ下る。
karlton-hillカールトンヒルという小高い丘が近くにあったので、登ってみた。なんという眺めだ!街の向こうに海が広がっている。そして暗い夕陽。晴れの日に来たらすごくきれいだろう。いや、エジンバラには晴天は似合わないのかも知れない。暗くて厳かな雰囲気の方がいいのかも。
edinbara-yuugureエジンバラの街には、なにかの匂いが立ち込めているなぁ、とずっと思っていたがやっと何の匂いか思いついた。それは“天津甘栗”の匂いであった。なぜだろう?
日も暮れてきたので、中華の店で3人で夕飯をとる。時々、ご飯が食べたくなってしまうので、どうしても中華料理屋の炒飯のお世話になってしまう。本当はもっと地元の味に触れたいのだが、「米の禁断症状」か?
宿に戻り、置いてあったパンフレットを見ていると、ネス湖に日帰りで行くバスツアーを発見。しかもmatsu-ra曰く「鉄道では行かれない、いい場所を通る」とのこと。じゃあ行くか、という話になったがまだ予約も出来ていないし、本当に行かれるかは明日の楽しみにして就寝した。明日はネッシーに会えるかな? by satoru-ball


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October 06, 2005

バックパッカーイギリス編後半~ヨークへ

バースのB&Bの朝食はとても充実していて美味しかった。ベーコンエッグも玉子2個だった。おまけに醤油らしきものが置いてあるので訊ねると「いいものがあるでしょう?」と奥さん。気配りが嬉しい。
今日は曇り空。いまにも降り出しそうだ。9時過ぎにチェックアウトし、駅へ。ブリストルで乗り換えて、2人との待ち合わせ場所のヨークへ向かう。今日は5時間以上、列車に乗る計算だ。最初は窓からの風景を見ていたが、あまりにも平和な風景が続くので、列車の売店でビールを買って飲み、少し眠る。起きてから友達への葉書を書いたりして過ごす。
york013時前にヨークに到着した。“i”でヨークの地図を買い、街をすこし散策。なかなか見応えがありそうな予感。4時過ぎに駅に戻り、hon-daとmatu-raと再会する。hon-daはケンブリッジ、matu-raはポーツマスとグリニッジへ行ってきたらしい。
駅の“i”でB&Bの予約をお願いする。ファミリールームでベッド3つの所を2泊予約した。
宿に荷物を置かせてもらい、3人で街へ出た。ヨーク・ミンスターはライトアップされていて荘厳で堂々としていた。あす、中を見学することにした。
夕飯を食べる店を探すが、もう閉めている店も多く、PUBでラム肉に蜂蜜をつけてこんがり焼いたものを食べた。まずまず美味しかった。メニューの中に「32oz Rump Steak」というのを見つけた。32ozって、1kgくらいか。あすhon-daが挑戦することになった。店を出て宿までの道で星空を見上げると、たくさんの星が見えた。それもクリアに。きれいだなぁ、出来たら女の子と見たかったなぁ、と思う。
翌日は10時過ぎに宿を出て、リバーサイドを歩きながら街の中心部へ向かう。川の水は濁っているが、芝生の上では犬が自由に走り回り、気分がいい。でも犬の糞がたくさん落ちているので気が抜けない!
yorkminster-grassまずはヨーク・ミンスターへ。イギリス最大のゴシック建築だそうだ。高い天井と大きくて美しいステンドグラスに圧倒された。そのステンドグラスの中に、青というか群青色というかそんな色があり、惹き付けられた。
続いてはヨーヴィック・ヴァイキング・センターへ行った。ヨークは昔、バイキングが治めていたこともある街だそうで、当時のバイキングたちの暮らしが「視覚・聴覚・嗅覚で分かる」という。“嗅覚”というのに疑問を抱きつつ入館。なんだかずっとチーズかサーモンの燻製のような匂いがしている。なかなか良い趣向じゃん、と思いつつさらに奥に入ると「家の裏庭では残飯が捨てられ、トイレも穴を掘っただけのもの。男性が使っています」という説明とともに、強烈な悪臭が!呼吸を止めて耐えた。ちょっとキッツイなぁ、あれは。
joheki-kara-minsterhon-daが別行動で行きたいところがあると言うので、19時に昨日のPUBで待ち合わせ、matu-raと城壁を一周した。風が吹き、すこし肌寒いが衣服のおかげで大丈夫。matu-raは少し辛そうだった。城壁は、ヨーク・ミンスターの写真を撮るのに適したところが閉鎖されていて残念だったが、一周すると街並みをいろんな方角から見ることが出来、1時間ほどの散歩にもなるので楽しかった。その前に昼食で食べた、“Large size cod(鱈)”もこなれたし・・・こいつはすごかった。最初、アナゴが一匹運ばれてきたのかと思ったほど、デカかった。
york-joheki01その後、matu-raとも別れ、街を散歩する。歴史には詳しくないが、「中世の町」という雰囲気が立ち込めている。
雲行きがあやしくなり、疲れもしたのでいちど宿に戻る。テレビをつけるとモンテカルロラリーを放送していた。車内カメラでドライバーを写しているのだが、ミスしたり事故したりすると「ピーッ」という音が入る。最初は「なんだろう?」と思っていたが、かなり頻繁にその音が入るのでよく聞くと、ドライバーが「くそっ!」とか「バカヤロー!」と叫んでいるのを消すための「ピーッ!」音のようだ。面白いものを見た。
すこし眠ってから待ち合わせのPUBに行き、先にビールを飲んでいると2人もやってきた。hon-daは約束の32oz Rump Steakを注文。だが想像したほどの化け物ではなかった。しかし一人では厳しいということで、3人でたいらげた。冷めるにつれ肉が硬くなっていくので、急いで食べた。
宿に帰りシャワーを浴びてかr、今後の計画を考えて就寝。なかなか充実の一日であった。 by satoru-ball

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September 30, 2005

バックパッカーイギリス編後半~バースへ

ソールズベリーで泊まったWYNDHAM PARK LODGEは快適で、おじさんは本当に優しい人だった。あまりにいい人なので、最初は疑ってしまったくらいだ。申し訳ないことをした。朝、チェックアウトして列車でバースへ。駅の”i”でB&Bを探してもらう。駅に近いところを希望すると、駅の裏手にある宿を紹介してくれた。優しく品のある奥さんが出迎えてくれた。シングルベッド、シャワーなしで頼んだのに、ダブルベッドでシャワー付きの部屋を宛がってくれた。「どうせ空いているのだから、いいのよ」と奥様。こういう寛大なところもB&Bの魅力の一つだろう。鍵を渡され、「玄関の鍵穴は隠れているから、カバーを開けないとダメよ」と教えてくれ、玄関で実演してくれた。うまく出来ているなあ。

bathbath-02街に出た。ローマ人の風呂へ行く。風呂の起源がここなんだそうだ。たしかに地名の“Bath”は訳すと“風呂”だ。今でも温水が出ているそうだ。石造りの立派な作りに感心する。昔はドーム(屋根付き)の浴場だったらしい。

royal01次はロイヤル・クレッセントへ歩いて行く。けっこう急な坂道が続いたが車も走れる程度の坂なので大丈夫だった。クレッセントは、弓なりの形に建てられた、庭園付きの建物だ。緑の芝生に、真っ白な建物がよく映える。

続いて、パルトニー橋へまた歩いて行く。ローマ人の風呂で会った外国人に「やあ!」と声をかけられる。同い年くらいだろうか?バックパックを背負っていた。royal02坂を下りている途中で、可憐な花がたくさん咲いているのを見つけた。シャッターを切る。天気がいいので、上手く撮れていればいい写真になるだろうな、と思った。パルトニー橋にそろそろ着くころだが、通りがずっと続いていて、どこが橋なのか分からない。と思ったらガイドブックに「橋の両側に商店が立ち並ぶ」と書いてある。面白い。初めて見る橋だ。そのまま街をぶらぶらする。賑やかな通りがあり、HMVやBoots、Body shopなど、もうお馴染みの店もあった。しかし、一本裏の通りに入ると店もまばらで、三本も奥に入ると民家になった。オムレツとコークで軽く腹ごしらえをし、スーパーでパンとチーズとターキーのハムを買う。今夜の夕食用と、あす列車で食べるためのサンドウィッチをつくるためだ。 bath-urayama

駅の裏手に小高い丘があり、てっぺんに家があるのが見えた。「高いところがあれば登る」という主義に則り、スーパーの袋を提げてエッチラオッチラ登る。結構しんどかった。頂上は芝生の生えた公園になっていた。眼下にはバースの街が一望でき、遠くまで丘が続いているのも見えた。ちょうど夕陽に街が染まっていく時刻。ジーンときた。 nora姉が語学留学していたのは、このバースだった。この街を選んだことに納得した。教会の塔、クレッセント、サークル、家並み。沈む夕陽、散歩する人や犬。イギリスの豊かな自然とその底力のようなものを見た気がした。

19時ごろ、宿に戻りシャワーを浴びてさっぱりしてから、地図やガイドブックをベッドの上に広げ、これから行きたい街をピックアップした。ダブルベッドだから出来たことだ。ありがたい。ヨークから北上してエジンバラ、インバネスへ行き、そこから南下して湖水地方とウェールズに行こうと決めた。あとは他の2人と相談して、日程を組もう。日記を書いたりしていたら、23時ごろになってしまった。akaneがくれた小瓶のウィスキーを飲みながら、チーズやhitomiがくれたナッツを食べる。彼女らと別れて3日目にしてようやく、淋しさが和らいだ。ロンドンの写真のポストカードが売られているのを見ると、ロンドンの楽しかった日々を思い出すが、やはり私には地方の方が合っているようだ。田舎に来てからすごくリラックス出来ている。明日はヨークへ371kmの旅だ。晴れたら景色がいいのにな! by satoru-ball

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September 29, 2005

バックパッカーイギリス編後半~ソールズベリーへ

9:35分の列車で、matsu-raとソールズベリーへ出発。hon-daはケンブリッジへ行くので別行動だ。
列車の車窓の風景が、とてもよかった。緑や茶や黄色の野原がうねりながら、どこまでも続く。その所々に村が点在してる。「こんな所にも人が暮らしているんだ」と考えるだけで、旅情がわいた。
1時間半でソールズベリーに到着。まずは宿の確保のため、”i(アイ)”へ行く。「15~20£で部屋にシャワーが付いていて清潔なところをお願いします」というと4軒ほどリストアップしてくれ、15£のところを選ぶ。係の人が電話をしてくれると「ツインルームをシングルの値段で使わせてくれる」という。即決した。
予約したB&Bを目指すも、なかなかわからずにうろたえていると、「ここだよ!」とご主人が出迎えてくれた。matu-raには待っていてもらい、中に入る。大きな黒い犬と、猫がたくさんいる宿だった。設備に問題はないし、ご主人も気さくでよい人だった。「ちょっとブラブラしてくるので、先に荷物だけ置かせてください」と言って、行動用の小さいバックパックだけ背負って外に出た。
バスの時間までだいぶあったので、先にランチにする。ラムのローストが美味かった。ミントの入ったソースをかけると、スッキリしてまた美味い。
hengeバスでストーンヘンジへ。2階の一番前の席に陣取る。絶景!40分ほどで到着。風を遮るものがないので、寒い!マフラーとグローブを持参したのは正解だった。
ストーンヘンジは不思議な雰囲気を醸し出していた。3500年も昔に、よくこんな大きな石を運び、積んだなあ。雲の切れ間から陽光が射して、カーテンかオーロラのように見えた。鳥肌がたった。何千年の昔も、ここには同じような風景があったのだろう。なんとも言えないロマンだ。
sourusberry01バスでソールズベリーへ戻り、大聖堂へ。尖塔がそそり立ち、とてもきれいな外観で厳かな気配を漂わせている。中のステンドグラスも、オリジナルは破壊されたらしいが、きれいに直してあった。マグナカルタも見ることができた。今日やっと分かったのだが、車や電車の中から見て「何の花だろう?」と思っていたのは、やはり桜のようだ。教会の庭や家々の庭にも咲いているが、どうもしっくりこない。日本の風景のほうが似合う気がした。
sonata02matu-raは海沿いを通ってロンドンに戻るというので別れ、一人で街をうろうろする。これはマーケットの写真。ソールズベリーの街には色んな店があったので、兼ねてから欲しかった帽子を探してみることにした。「J.Carter&Son」という紳士服店のショーウィンドウに良さそうなハンチングを見つけ、入ってみる。気のいいおじさんが迎えてくれたので「帽子を探しているのですが、ロンドンでは”頭が大きい”と言われて・・・」というと、笑いながら帽子を出してきてくれた。62cmのは少し大きすぎるようだ。61cmでいいのが2つあり、鏡を覗き込んで大いに悩む。おじさんが居なくなったと思ったので、一人でぶつぶつ言いながら悩んでいると、おじさんは気配を消して鏡の中に佇んでいた。恥ずかしかった!結局、グリーンぽいのに決めた。22.50£。おじさんが「お客のリストに名前を書いて行ってくれないか」というので、恐縮しつつ記入した。
いったん宿に戻り、また街に出て夕飯を探す。18時を過ぎると通りには人気が無くなるようだ。ロンドンとは大違い。スーパーでパンとチーズを買い、それで済ませようと戻りかけたときに、良さげなPUBを発見した。おばさんに「食べ物はありますか?」と聞くとメニューを出してくれた。色んな食べ物がたくさん書いてあった。初めてローストビーフを食べた。美味かった。「イギリスの食事は不味い」と聞いてきたのだが、そんなことないよと思う。
20時に宿に戻り、シャワーを浴びて就寝。健康的だ。今日はイギリスに来て初めて、一日雨が降らなかった。明日はバースへ行くのだ。この天気よ続いてくれ! by satoru-ball

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September 28, 2005

バックパッカーイギリス編後半~ロンドンにて

さて、彼女らを日本に送り返し、今度は大学院の同期3人でのイギリス旅行が始まりました。
af_kubikiriあとから来た二人の希望もあり、最初はロンドンとその近郊を観光することに。いきなり行っちゃいましたよ「ロンドン・ダンジョン」。ダンジョン(dungeon)とは土牢のことで、中はイギリス中世を舞台にした恐怖の館。拷問や死刑、ペストの流行などが”学べる”。入り口でいきなり「買わなくてもいいから」と撮られたのがこの写真です。出口で見たら案の定、欲しくなり買ってしまった!館の中はずーっと暗くずーっと怖い。日本のお化け屋敷みたいに人形が動いたりはしないけど、異常にドキドキしてしまう。特に「切り裂きジャック」のところは怖かったです、ハイ。
ダンジョンを出ると昼だったので、作家の林望先生の本に載っていた「ANCHOR」という店でターキーのパイを食べたら、すごく美味しかった。ビールも飲んだ。スーツ姿のビジネスマンもビールを飲んでいる。いいのか!?と思って店員さんに聞くと「問題ないよ。リキッド・ランチ(液体の昼食)って言うんだよ」と教えてくれた。いい習慣だ。
towerbrige02その後、3人バラバラになり、私は川沿いを歩いてタワーブリッジへ。川岸から見る町並みやタワーブリッジは、陽の光を受けてクリアで堂々として見えた。タワーブリッジでは、翻訳レシーバーを借りたので橋の歴史や開閉する仕組みがよく分かって楽しかった。
bridg-viewタワーから降りたらもう16時に近い。2人との集合場所へ急ぐが、テロか何かの影響で、降りたい駅の点検をしていたらしく、通り過ぎてしまい、バスで行くはめに。
少し遅れてしまったが、なんとか集合場所にたどりつき、本屋を目指した。これから使う、国鉄の時刻表をさがすためだ。本命と考えていた”ABC Rail Guide”は見づらいことが判明し、結局”トーマスクック”を買った。
夕飯は、akane&hitomiと発見した中華街で。2人も「美味い美味い」と言ってくれた。彼女たち、無事に帰れたかな、と思いをめぐらす。
B&Bに戻り、明日からの行動予定を考える。明日、matu-raと私はソールズベリーという町へ行き、明後日は一人でバースという町へ足を延ばし、その次の日にヨークに集合することにした。
いよいよロンドンから飛び出す時が来た。楽しみ半分、不安が半分という気持ち。すわ、何が起こるかな? by satoru-ball

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September 21, 2005

バックパッカーのススメ~イギリス編前半~#6

さて、akaneとhitomiと過ごしたイギリス旅行前半も、今回で締めたいと思います。
AVISから指示された日にオフィスに再度出向くと、「あなたはレンタル料金のほかに、保険料と免責の100£を支払うことになります。OK?」と言われ、ハイと答えてカードで支払い、事故の処理も含めてそれだけだった。すごくビジネスライクで肩透かしな感じ。でも一応、これで全ての手続きが済んだのか確認してから「アイムソーリー」と言うと、逆に「大丈夫。ホリデイを楽しんで!」と言ってくれた。
その間に彼女たちは2人でのみの市に。11時にホースガーズで待ち合わせのはずが現れない。「2人でのみの市なんかに行かせたのは、まずかったかな~?」と心配しながら騎兵交替はバッチリ見た。それが終わった頃に、2人が到着。akaneはブーツ、hitomiは茶漉しを買っていた。umadura-hitomi一応、記念撮影をする。hitomiは馬の顔の真似をする。将来後悔するはずだ!
そのあとビッグ・ベン、ウェスト・ミンスター寺院まで歩き、外から見学。ビッグ・ベンと議事堂はとても美しい。日本の政治もこんなところでやったら、紳士的になるのかな?などと話す。
昼食にキドニーパイを食べてみた。モツ煮のパイ包み焼きって表現したらいいのかな?美味しかった。スタウトビールと相性がいい。
バスでロンドン塔へ向かい、IDカードを買った。中は思ったより狭かったが手入れの行き届いた緑の芝生が生え、明るい雰囲気。投獄・拷問・処刑などといった暗い過去を感じさせない。側の教会で結婚式があった。上流階級の人たちなのか、参列者はビシッと決めていたし、新郎は兵服のようなのを来ていた。イギリスで結婚式を見られるとはラッキー!weddingこの日は、遅れてロンドン入りする大学の同期、matsu-ra君とhon-da君と合流する日。バスを乗り間違えたりして、待ち合わせ場所のトラファルガー広場に着くのがかなり遅れてしまったが、まだ居てくれた。「遅い!」と叱られる。スマヌ。
お互いを紹介し、hitomiの買い物に付いて動く。そごうでカーディガンをやっとご購入。その後も4人でhitomi様の後ろをぞろぞろ御供して動く。イギリス人は我々をみて、どう思っていたのだろう??
af_hon-matsu買い物を終え、5人で夕飯を食べに行く。その後、シャーロック・ホームズというPUBでスタウトとスコッチを飲みながら、これまでの旅のことや、修士論文のことなどを遅くまで話した。
翌、女子2名の帰国日、まず私は自分のB&Bをチェックアウトして、彼女らのホテルへ。読み終わった本や、もう使わないと判断したウォークマンなどをhitomiに託す。先に持ち帰ってもらう作戦だ。2人もチェックアウトして、荷物だけホテルに預かってもらい、のみの市をぶらぶらする。あまりいい獲物がなかった。
ホテルへ戻り、荷物を受け取って、来たときと逆のルートでヒースロー空港へ。来たのって、もう8日も前だっけ?
あっと言う間だった気がする。Virgin Airのカウンターで荷物を預ける。重量はakaneが23kg、hitomiは26kg。まあ、あれだけ買い物すれば当然だな!
免税店でさらに買い物をしたいと言うので、ゲート前でお別れ。意外にも、すごく寂しい気持ちになった。「彼女らとは一生の友達になるな」と思ったし、現実にそうなっている。よい思い出が出来てよかった。
ロンドンに戻って、matsu-ra&hon-daと合流。彼らが探して来てくれたB&Bへ向かう。値段の割りになかなかいい
部屋だ。ただし3人相部屋だったケド・・・。
これ以降は、男3人ぶらり旅。彼らは英語も話せるし、ずいぶん気楽になった。彼女たちとは毎日一緒に行動していたけれど、これからは基本的に別行動。行きたい街がそれぞれ違う。でもダブッている街もあるので「ロンドンを出発して左回りにイギリスを回ろう。で、日時と待ち合わせ場所を決めておいて、3人そこで会おう」ということにした。
ということで、イギリス編前半はお終いです。後半はしばらくしてまた書きますね。 by satoru-ball

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September 20, 2005

バックパッカーのススメ~イギリス編前半~#5

昨日の事故の処理手続きのため、朝ひとりでAVISに行ったが内心は「莫大な修理費を請求されたらどうしよう?俺の社会人生活、裸一貫から出発か!?」と不安がで一杯でした。しかし、「担当の者がいないので、明後日また来てくれますか?」と言われ、拍子抜け。
af_london01 その日はakane&hitomiと共に、まずはナショナルギャラリーへ。「ゴッホのひまわり」「モネの睡蓮」に始まり、ダ・ヴィンチ、ピカソやラファエロなど美術の教科書に載っている絵画が目の前にある。うまく表現できないけれど、シビレました!しかも入場無料。akaneは、雪の風景の中に教会がぼんやり見えている絵に釘付けだ。「買うの!?」くらいの勢いであった。
つぎにポートレートギャラリーへ。ここは、イギリス史上重要な役割を果たした人たちの肖像画がたくさん飾ってあるギャラリー。王室の人の肖像もあれば、F1レーサーのグラハム・ヒルのもある。いいな、こういうのって身分や職種に関係なく称えられるわけだから。
そこから出て、トラファルガー広場で写真を撮り、歩いてコヴェント・ガーデンの方へ。途中で昼食を済ませて、コヴェント・ガーデンに入った。でっかいアーケードの中に2階建てで店が並んでいる。古くて雰囲気のある”イオン”って感じ(違うな)?天井はガラス張りなのか、中は自然光で明るい。女子たちはアクセサリーを買っていた。
TUBE(地下鉄)でピカデリーサーカスへ移動。日本でいうと”銀座”だろうか?大きなカーブに沿って弧を描いてビルが立ち並ぶ風景は圧巻。フォートナム&メイソン(F&M)でhitomi嬢が紅茶を大量に買う。london-machikado
私は買えないと分かっていながら、アクアスキュータムに入ってみた。重厚な店内に明らかに不似合いな3名。でもおじさんは丁寧に説明してくれた。hitomiの袋を見て「日本人はF&Mが大好きだね」と言われた。その通りなのだが、「じつはもっと美味しい紅茶があるんだぞ」と言っているようにも聞こえた。リージェントストリートをぶらぶらする。hitomiがバッグを気に入るが、迷っているうちに閉店となる。彼女はいつもこうなる。だからMissビーンから抜け出せないのだ!
お腹が空いたので夕飯の店を探すが、イギリス料理を出す店がなかなか無い。しばらく歩くうちに中華街に出てしまう。ロンドンにチャイナタウン、妙なマッチングだ。でも空腹には勝てず、中華料理店に入ってみた。セットメニューを頼んだら、これが美味しくてボリュームもある。またお世話になる機会があるかも知れないと思いつつ、店を出た。
翌日は初めて、別行動でスタート。akaneは買い物、hitomiは大英博物館と用事とバーバリー、私は大英博物館。博物館は泊まっていたB&Bから近いので、歩いて行った。ミイラというものを初めて見た。ロゼッタストーンも見た。パルテノンの彫刻もあった。こんだけ沢山の物を、イギリス人はよくも集めたものだ。イギリスが強かった時代があった事を思い知らされた気がした。とても全部は見切れないので、また来ることにして2人との集合場所へ向かう。
Harrods(ハロッズ)近くのローラアシュレイで待ち合わせたのだが、2人ともすでに大量の買い物をしていた(特にakane)。まずは昼食。マスのムニエルと、そろそろクセになったぬるいビール。美味しくいただく。「イギリスには美味しい食べ物を期待してはいけない」と聞いて来たが、そんなことないと思う。探せばまずまず美味しい食べ物にありつけるものだ。hitomiが「お土産の紅茶が足りない」というのでHarrodsへ。その間、私は食品売り場を見て回ったが、なかなか楽しい。カップヌードル(3£)や寿司酢、増えるワカメちゃんなども置いてある。
TUBEでボンドストリートへ。雨が降ってきたので、サザビーズに雨宿りも兼ねて入らせてもらう。その日は家具の日だったが、磁器も置いてあった。商品の札には番号と日付が書いてある。その日にオークションに出品されるという意味か?300£からあるようだが、今回の旅行では無縁だ。
次いでオックスフォード通りへ行き、また自由行動。私はハンチング帽を探すが「Large head!」と言われてしまった。俺様のデカ頭は国際基準を超えているらしい・・・london-machi
その後、2人が泊まっているホテルで食事&飲むことにする。TUBEで帰ろうとしたが混雑していたので、初めて2階建てバスに乗って見た。2回はオープンカー感覚で気持ちいい。乗るときに「△△で降りたいのですが」と頼んでおいたら、バス停が近づいたところで教えてくれた。便利なシステムだ。
近所のスーパーでパンやハムなどサンドウィッチの材料とカップライス(カップヌードルのお米版)を買ってきて食べる。シンプルで安上がりだが美味い。3本目のビールを空けたところで急に眠くなり、hitomiのベッドを借りて寝てしまう。akaneも自分のベッドで寝る。1時間半位して目が覚めたので、自分のB&Bへ帰った。疲れがすこし溜まってきたようだ。でも彼女たちの旅行はあと2日。もう少しがんばろう。 by satoru-ball

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September 16, 2005

バックパッカーのススメ~イギリス編前半~#4

doba イギリスで事故りました・・・。あれはレンタカーを借りて2日目。彼女たちを乗せてロンドンから南東に向かいました。まずはカンタベリー大聖堂を見学し、「さすがはイギリス国教の総本山だなあ」とスタンドグラスの色合いやパイプオルガンの荘厳な音色に浸ったあとドーヴァー海峡へ。「この海の向こうはフランスかあ」と思いながら、ドーヴァー城を見学。12世紀に建てられたそうだが堅牢で、まだ使えそうだなあ、などと感想を述べ合います。
昼食はフィッシュ&チップス。続いてライという街に向かったのですが、日没であきらめてロンドンへ戻ることに。その日はずっと一人で運転していて、疲れたのでパーキングで休憩しようとした時、その事件は起きてしまいました。日本のそれよりも導入路が短く、パーキングに入りきらないうちに本線とパーキングを隔てるガードレールが迫ってきて、正面からそれに乗り上げてしまったのです。4輪とも浮いたまま20mほどガードレールの上を滑走して走行車線に着地、片輪走行して停車。後続車がなかったのと横転しなかったのが幸いし、全員ケガはなくて済みました。感謝すべきことに、akaneもhitomiもパニックにならず落ち着いて行動してくれて、荷物をすばやくまとめて車外へ出てくれた。偶然にも黄色いセーフティーカー(日本のJAFの様なものだと思う)が、他の車のトラブルの処置のためパーキングに入って来たので、助けを求めました。すごく優しい人で、僕らを作業車に乗せて待たせてくれ、ポリスも呼んでくれました。ポリスマンもいい青年で彼女たちを気遣ってくれたり、私が英語での取調べをうまく聞き取れないと何度も説明してくれた。アルコールのチェックも受けたがもちろんOK。レッカーを呼んでくれました。ポリスマン「君たちは何処に泊まっているの?」私「ロンドンです」ポリスマン「え?どこだって?」私「ロンドンです」ポリスマン「うーん、紙に書いてみて」私「LONDON」ポリスマン「判った!ランドンだね。この(事故した)車は火災の危険は無いようだし、中でラジオでも聞いていなさい。レッカーが車と君たちをロンドンまで運んでくれます。何かあったら、ここに電話しなさい。今夜はよく眠れるよ。そしたら明日、AVISに行けば良い」と言ってくれました。英国人てなんてジェントルなんだろう!hitomiとakaneの瞳には、ハートマークがキラキラしてました(?)。しかしこのときほど、”L”と”R”の発音の違いの重要さを実感したことはありません。
エンジンをかけるのが怖いので、暖房の効かない冷えた車内で待つこと30分くらい。レッカー車が到着。ポリスマンの話とは違って「車は運ぶが、人間は知らんよ。新しい車が要るか?電車か?」と言われる。もう車の運転には懲りたので「近くの駅まで送って下さい」とお願いする。別れ際、「今日は霧も濃くて、運転疲れただろう。ゆっくり休みなさい」と慰めてくれた。電車はなかなか来なかったが、乗ってしまえばロンドンまで40分くらい。hitomiは疲れて電車で眠ってしまって、時々ビクッビクッと動く。akaneと秘かに笑う。
今日はakaneとhitomiには怖い思いをさせてしまったな。心細い目にも遭わせてしまった。でも彼女らは私を一言も責めない。逆に明るく振舞ってくれる。余計に申し訳なく感じる。明日からは慎重にも慎重を期して行動しよう、と思った。 by satoru-ball

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September 15, 2005

バックパッカーのススメ~イギリス編前半~#3

さて、ロンドン市内をだいぶ歩きつくした我々は、レンタカーを借りて郊外へ足を延ばすことにしました。
AVISというレンタカー屋さんで「ヴォグゾール」という聞いたことも無いメーカーの1.2Lの車を2日間借り受け、まずはコッツウォルズ丘陵に向かいました。なだらかな丘陵が続き、羊がのんびりと草を食む”イングランドらしい”景色を見るためです。
しかしAVISを出発して1分後、早くも道を間違え、後退したい場面になったのですが「Rレンジに入らない!」。ちなみにM/T車でした。シフトレバーをどうゴリゴリやっても入らないのです。慌てて走ってAVISに戻り「リバースに入らない!」と言ったところ「シフトレバーの握りの下にあるノッチを引きながら入れるのよ」とのこと。今ならば、日本車の6M/Tではそうなっていますが、当時はそんな経験がなく焦りました。
無事にルートに戻って、出発進行!しかしナビなどあるわけもなく(日本でもまだ一般普及はしてなかった)、頼りは助手席の”akaneナビ”です。これがなかなかイインダ!使えるんだ!一方のhitomiは後部座席で車窓を眺めてました。詩でも考えていたのでしょう(?)。
woodstockこれはWood stockという町を通りかかったときに見つけた、とても大きな宮殿の門です。肉眼ではすーっと奥のほうに宮殿が見えたのですが、写真にはハッキリ写ってませんね。なんだか郊外の風景にハマリ過ぎていて、思わず車を停めて撮った一枚です。お昼ごはんは、近くの”i”で教えてもらったPUBでチキンパイとチップスなどを食べました。この”i(アイ)”ですが、イギリスではどんな小さな町にもあって、旅行に関する情報(information)を無料で教えてくれる、お役立ちスポットです。何度お世話になったことか!そのPUBのテレビではちょうど、冬季オリンピックの中継をやっていて、スキージャンプで日本が大逆転負けをするところを見ました。原田雅彦選手の”失速ジャンプ”ってやつです。PUBのお客さん達からは口々に「ニッポン、残念だったね~」と慰めてもらいましたが、あまり関心がなかったというのが本音です。。。
GASその後、ガソリンが減ったので給油をしました。ガソリンスタンドに入ったのですが、日本のように店員さんが「いらっしゃいませ~!」と言って飛び出して来るわけでもなく、ひっそーりしています。閉まってるのか?と思って事務所のほうを覗くと男性が一人いました。「ガソリンを入れたいんですが」「初めてかい?」「はい」「じゃあ、使い方を説明するね。自分でガソリンを入れたら伝票が出てくるから、それを持って僕のところへ来て」「はあ」というやりとりで、「ま、やってみるか」とセルフ給油初体験です(日本にはまだセルフのスタンドは無かった)。給油口を開けてガソリンガンを挿入し、給油開始。「何リッターくらい入るのかな?溢れたらイヤだな」と不安になりましたが、満タンになったら自動的に止まってくれました。給油機から伝票が出てきて、そこに書いてある「○○リッター(ガロンだったかな)給油」というのに従って、店員さんにお金を払いました。「これから何処まで行くんだい?」「チェッケンドンという村です」「そうか、雪が降るかもしれないから気を付けて!」と見送ってもらい、再度出発。今度はakaneが運転に挑戦です。右ハンドルなので、そう心配はしなかったけれど無事に走り切りました。免許取立ての頃は坂道発進が苦手で半泣きになっていたのに・・・さすが!途中で市場のある町を見つけてすこし散策。町全体の建物が蜂蜜色で、メルヘンな感じでした。が、散策途中で雪が降ってきました。あわてて車に戻り、私の運転、hitomiのナビでチェッケンドン村を目指します。好ナビゲートのおかげで無事、村に到着。そこには私の好きな歌手がアルバムのレコーディングをするスタジオがあるハズなのですが、それらしき建物が見つかりません。村人に尋ねたくても雪のせいか、人影は見えません。ようやく一人の老人を見つけて「この辺りにレコーディングに使われているスタジオはありませんか?」ときくと「ああ、半マイルほどのところにポップミュージックのスタジオがあるよ。大きな屋敷だからすぐに分かろう」とのこと。おかげで辿り着くことが出来ました。「こんないい環境でレコーディングしてるのか~いいな~」という素晴らしいお屋敷で、感動しました。
ますます雪が強くなってきたので、ロンドンを目指してひた走りました。車窓からは、雪の積もった草原で羊がかたまってジッとしている景色が見えました。なんとか無事に二人が泊まっているホテルに着き「このレンタカーを一晩だけ置かせてもらえないですか」と交渉。朝の8時半までなら、隣の道に停めてもいいよ、と言ってもらって一安心しました。
この日は慣れない運転に、雪道の運転でとっても疲れました。でも、電車では行かれない町や村、市場を見られて楽しかったです。走行距離は242マイルでした。続きは次回に。 by satoru-ball

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September 14, 2005

バックパッカーのススメ~イギリス編前半~#2

af_edinbaraさてさて、ロンドンに宿を確保した我々3名は、行動を開始しました。
その前に、参考までに今回のイデタチを記しますね。ロンドンも2月は寒いだろうと予想し、上着はWillis&Geiger(ウィリス&ガイガー)社製の“パトロールジャケット”を買いました。7万円弱したと思います。なので正確にはお袋に「買ってもらいました」です!これは”ヘミングウェイが愛用していた”というのを何かの本で知り、どうしても欲しくなってしまったのです。で、池袋の東武百貨店で扱っていることを知り、何度も試着に行きました。綿100%なのですが、編み込みが細かくて防水・防寒対策も大丈夫だと聞き、「イギリスは雨も多いだろうし」と思って決めました。それだけでは寒いだろうと、下に着る丸首のセーターもWillis&Geigerのを買いました。肩に革がはってあるヤツです。この記事を書くに当たって、W&G者のHPを探したのですが、ありません。どうも潰れたか、日本から撤退したようです。なのでいまウチにあるジャケットとセーターは、もう日本では買えない逸品ということになります。しかしこの買い物のおかげで、東武デパートのW&Gショップの女性店員さん(デパガとか言われていた)、ka-wai嬢とho-rie嬢と友達になることが出来、その後も付き合いは続いてます。ズボンはジーンズと、コーデュロイの2本を用意しました。濡れたときの予備です。バックパックはKARRIMORの80Lを使用。足元はもちろん、Dannerです。
af_kyuden観光は、まずロンドン市内から始めました。これは、バッキンガム宮殿の「衛兵交代」を見学しに行ったときのものです。背景が宮殿ですが、アルバムのコメントには「いつかここに住みたい!」と書いてありますね・・・どうやっても無理じゃ!その他に、のみの市に出掛けたり、リージェンツパークを散歩したりしました。市内のCDショップやBody Shopで買い物をしている時に、Missビーン・・・基いhitomi嬢が「腕時計を落とした!」という事件もありました。結局見つからなかったけれど、店員さんも総出で探してくれたりして、イギリス人の人柄の良さを感じました。
食事はたいてい3人一緒に摂っていました。仲が良かったというのも理由ですが、お嬢たちは英語がまったくダメだったというのが最大の理由です。お店で食べることもあるし、テイクアウトして公園で食べることもありました。市内にある公園はきれいで広くて、リスなんかも居たりして、寛げました。寒いときもありましたが、3人とも”飲めるクチ”だったので、ビールで暖を取ってた、かな?夜も毎晩のように飲んでた記憶が。PUBでぬるいビールをちびちびと。或いはウィスキーをロックで。私はたちまち、クリーミィな泡の「GUINESS Beer」の虜になりました。
akne-posterこれは街角でakaneを、ポスターの貼ってある壁を背景にして撮った写真です。akaneはファッション系の専門学校に行っており、自分の服装のセンスも良かったのでイカス!と思って撮ったんだと思います。もし私が被写体だったら・・・少なくともブログに載せたりはしないですね!  by satoru-ball

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September 05, 2005

バックパッカーのススメ~イギリス編前半~#1

Backpackerのカテゴリでは今回、卒業旅行で行ったイギリスのことについて書こうと思います。丸々1ヶ月かけてあちこちを周遊したので、何回かに分けて書きますね。
約10年前のことになりますが、大学院2回生の秋ごろになると、卒業に必要な単位も全部とれる見込みが立ちます。また当時はバブルの末期でしたが、私の大学にはまだ大企業からの求人がたくさん来ており、希望する企業からさっさと内定をもらっていました。
あとは修士論文を書いて提出すれば良いのですが、私の場合はこれまで学会での発表や学会誌への投稿などを定期的にこなしていたおかげで、それらを再編集してまとめるだけで良いよ、と担当のM助教授から言っていただきました。友達の中には、大学院の2年間に実験して取ったデータを、一からまとめないといけないようなやつもいて大変そうでした・・・。
論文提出の期限などの情報は事前に事務局から連絡が回って来ました。それを見て「余裕だ!」と思った私は、かねてから訪れてみたかったイギリスへ卒業旅行として行くことにしました。論文提出の受付が始まってすぐに提出し、2月の19日に出発して一ヵ月後に帰ってきて、数日中に下宿を引き払って、就職する企業の寮に引っ越すという強行軍の計画でした。でも当時は苦も無くやれたんですよね、不思議と。
af_jou-akaneバイト先のファミレスで「俺はイギリスに行くことにした」と話していると、「いいですね」「私もいっしょに行きたいです」という子が現れました。私の中では、「イギリスの古ぼけたPUBで独り、ぬるいビールをちびちび飲む俺・・・渋いゼ!」というイメージが先行していたのですが、「どうしても!」という、飲み仲間でもある二人を前半の2週間、同伴することにしました。この写真がその二人(hitomi&akane)です(背景はヒースロー空港)。
私は最初、国鉄全線に乗り放題の切符(Britrail Pass)、本屋で買ったイギリスのガイドブックと、鉄道の時刻表(Thomas Cook)だけ持って、鉄道とトレッキングをメインにしてぶらーっと行こうと思っていたのですが、彼女たちの働きかけで一緒にイギリスに関する資料を集めに観光局まで出かけたりもし、事前の情報収集をかなりやりました。また、「鉄道以外にも乗って、色々なところへ行きたい」という気持ちも出てきて、国際免許を取ったりもしました。
航空券は、H.I.S.さんにお願いした思います。航空会社はVirgin atranticという、参入間もないAirでした。もちろんエコノミー席でしたが、各席にテレビモニターがありました。学生の身分でなんでそんな良いAirに乗れたのか?新規参入で安かったのか今でも安いAirなのか分かりませんが、そのモニターで初めて「Mr.ビーン」を見た我々3人は大笑いでした。hitomiの動作や仕草はどこかMr.ビーンに似ていたので、旅行のあいだ彼女は「Missビーン」と呼ばれるようになったのでした。本物のMr.ビーンが日本のテレビで紹介されたのは、それから数年経ってからです。
宿は、彼女たちは2週間ずっとホテル泊まり。そこそこ上等なホテルでした。私はロンドン到着日だけ彼女たちと同じホテルに泊まり、翌日からは節約のため安い宿(B&B)を探して移動しました。B&Bといっても「もみじまんじゅう~!」の漫才コンビではありません(古すぎ?)。イギリス特有の安い宿で、ベッド(Bed)と朝食(Breakfast)だけ提供していることからB&Bと言います。私は一泊目のホテルで聞いた、大英博物館ちかくのB&Bに泊まることにしました。一泊20£(ポンド)くらいだったと記憶しています。ベッドと朝食だけ提供される安宿、と思っていたのですが、そのB&Bには中庭があって窓からの景色も良かったし、朝ごはんも美味しかったです。といっても、シリアルと目玉焼きかスクランブルエッグがメインで、ソーセージと焼いたトマト(これが意外に美味い)が添えられ、飲み物は紅茶(やっぱイギリス!)とオレンジジュースという程度でしたが、期待していたよりも快適な宿を得ることが出来ました。
今回はここまでとして、ロンドン近郊の周遊については次回から書きます。いろいろあったんだ、これが。 by satoru-ball

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July 25, 2005

バックパッカーのススメ~北京近郊編~Final

北京市内でのブラツキに慣れてきた私は、「電車で少し足をのばそうかな」と思うようになりました。そこで、軽い気持ちで駅に切符を買いに行ったのですが・・・長蛇の列&すごい熱気。電子化される前の、バブル時代の東京証券取引所みたいな感じでした。やっとのことで窓口にたどりついたのですが、切符売りの人はもちろん中国語オンリー。筆談を目論見ていたのですが、「だめ!最後尾に並び直して!」と言って却下され、あえなく私は電車での旅をあきらめたのでした(涙)。
こうなるともう、バスと徒歩と、日本よりかなり安いタクシーで移動するしかありません。いったんホテルに戻って「どこへ行くかなぁ」と作戦を練り直しです。
当時、私には父親が二人いました。いや、家族関係が複雑だったわけではありません。一人はもちろん、産み育ててくれた実父、もう一人はお金の無い学生時代を支えてくれた叔父(nora姉のお父様)です。実父は、血を分けた父ですから身体を作ってもらい、基本的な躾をしてくれた人です。パソコンに例えると、パソコン本体を作り、基本OSをインストールしてくれた人といったところでしょうか。それに対して叔父は、お酒の楽しみ方やレストランでの食事のマナー、男としての身だしなみや焼き物の楽しみ方などを教えてくれました。アプリケーションソフトを入れてくれた人、といった感じかな?
叔父には学生時代、本当にお世話になっていたので、中国でなにかお土産を買って帰って上げたいと思っていました。そこでホテルの人に相談すると「景徳鎮という、唐の時代から伝わる焼き物があります。景徳鎮を扱っているお店が集まる界隈があるので、そこに行って見ては?」と教えてくれました。
バスに揺られて数十分、その界隈に着きました。外国人観光客で、けっこう混雑しています。お店のショーウィンドウにはきれいな焼き物がたくさん並んでいました。「これは喜んで貰えるに違いない」と思って、値段を見てビックリ。すごく高いのです。これではお店に入る勇気も出ません。しかし「折角ここまで来たんだし、話だけでも聞こう」と思い、それほど大きくないお店に入りました。
最初、応対してくれたのは若主人でした。「結構いいのがあるでしょう?どんなのをお探しですか?」「景徳鎮っぽいヤツ」「これとこれなんかはいかがですか?ご予算は?」「それが・・・値札とケタが違うんです」「あー・・・」などとやり取りをしていると、奥からご主人が出てこられました。「日本人ですか?」と日本語で話しかけられたのでビックリすると、戦争のときに日本語を覚えた(覚えさせられた?)らしいのです。そのご主人は、景徳鎮には宮殿で使うための食器を焼く「官窯」と、庶民が使う食器を焼く「民窯」があること、官窯のものはすごく高いが値打ちも高く、民窯のものはソコソコの値段で買えることなどを教えてくれました。ご主人が「この2つは民窯だけどもすごく良いですよ」と言って出してきてくれたのは、一つは全体がくすんだ青色の茶碗で、器の内側に”辰砂(しんしゃ)”という鮮紅色の景色があるという、日本では見たことの無いものでした。もう一つは「いかにも中国王宮」っぽい、龍の絵が黄色い地に描かれたものでした。
私「二つでお幾らですか?」
ご主人「○○$ですかな」
私「持ち金がありません。カードは使えますか」
ご主人「あいにく使えません」
私「そうですか・・・でも気に入ってしまいました。なんとかなりませんか?」
ご主人「あなたは学生さん?」
私「そうです。世話になっている叔父が焼き物好きで、お土産にしたいんです!」
するとご主人はいったん店の奥のほうに消えて行ってしまわれました。もはやこれまでか・・・しばらくすると戻って来られ、「お世話になった叔父さんへの恩返しをしたいという気持ち、よく分かりました。じゃあ2つで△△$でいいですよ。ただし、社会人になって、たくさん稼ぐようになったら、また来て下さい。その時は定価で買ってくださいよ。ハッハッハ!」と商談は成立しました。
ご主人が若主人に箱詰めを指示していると、若主人の「そんな値段で売っちゃったら、大赤字だぞ親父!」という声が聞こえて来ました。今でも申し訳ない思いがします。でもご主人、また買いに行くからね!それまで元気でね!
そうこうするうちに、帰国の日になりました。ホテルの人たちは「また是非、来て下さいね。待っています」と温かく見送ってくれました。荷物が増えて重かったので、空港まではタクシーを使いました。かなり距離があって、「お金足りるかな?」と不安でしたが、余裕でした。今はどうなのか分かりませんが、当時の中国は何をするにつけても安く感じました。
帰国後、さっそく焼き物を持って叔父の家に行きました。「こりゃいいなあ。家宝にするわ。ありがとなぁ!」と言って喜んで受け取ってもらいました。嬉しかったです。でも最近、叔母に聞いたところ「あの黄色い龍のほうの器は、ラーメン食べるのに使ってるわ!ははは!」と言われてしまいました。一方の辰砂が入ったほうは、大事に使ってもらっているようです。
以上で、北京郊外編を終わります。当時はカメラを持ってなくて、写真が残っておらず、ちょっと退屈だったかと思います。
バックパッカーのカテゴリー、次は卒業旅行で行ったイギリスのことを書こうと思います。写真を探さねば・・ by satoru-ball

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July 24, 2005

バックパッカーのススメ~北京近郊編~Ver.4

学会も終わり、M助教授は帰国されました。私はスーツケースを持って、あらかじめ探っておいたホテルへ移動しました。今度のホテルは、それまでのホテルほど豪華ではありませんでしたが、部屋は清潔できれいだし、ホテルマンもしっかり教育されていて好感が持てました。
バックパックならば、北京だけでなく色々な都市を歩いて見たかったのですが、スーツケースではそうも行きません。そこで私は、スーツケースはホテルに置いておいて、中に入れてきた20Lの小型バックパックを背負って、北京市と近郊をウロツクことにしました。しかし当時、私は「地球の歩き方」などのガイドブックの存在を知らず、なにも知識がありません。でも幸運にもそのホテルにはコンシェルジェ(何でも相談に乗ってくれる人)が居たので、その人に色々と教わりながら、まずは北京市内を歩き始めました。
足はもっぱら、バスでした。パンタグラフが付いているようなバスだったと思います。でも何番のバスがどこへ行くのかとか、まったく分かりません。そこで、バス停で待っている人などに、「○○(地名)BUS、何番?」とかメモ帳に書いて見せて、筆談で目的地へのバスを教えてもらったりしました。この時ほど「漢字を分かってもらえる有難さ」を痛感したことはありません。でも、日本では使うけど中国では使わない漢字とか、その逆もあって、大変なことは大変でした。
ブラツキのテーマは、「食べ物」と「焼き物」にしました。
昼間は、ホテルの人に教わった「肉まんがスゴク美味しい店」とか「一人でも中華料理をアラカルトで食べられる店」などに行って、中国の味を堪能しました。どこに行ってもとても安かったと記憶しています。
肉まんの店に入ると、一人で、少し小ぶりな肉まんを普通に20個くらい食べているおじさんおばんさんがたくさん居て、お店の人に「あれと同じものを下さい」と頼むと「日本人でしょ?大丈夫?」と言われ、出された量にビックリしました。中国人のエネルギーは”食”にあるのかなあ、などと思いつつ頑張って食べていると、店員さんが「こっちの容器に入っているのがお酢で、これをタレに混ぜるといくらでも食べられるわよ」と教えてくれて、試すと味がさっぱりして、なんとか完食できました。しばらく動けませんでしたけど・・。
夜になると中心街ではたくさんの屋台が出て、いろいろと美味しそうな食べ物が並んでいます。しかも格安で!なので夕方になると屋台がある界隈に行って、夕飯を食べるのが日課となりました。”刀削麺”という、麺生地を薄く延ばして細く切るのではなく、棒状の生地をヘラみたいな包丁で削ってお湯の中に入れていくという、職人技みたいな麺も初めて食べました。他にも見たことの無いような魚や鳩、お粥とか揚げパンみたいなものも食べました。どれも美味しかった&安かったです。また、屋台だと作っている所を見られるので、「中華はやっぱりすごい火力だな~」などと感心しました。
私は幸いにも、パクチーとか香草が大好きなので良かったですが、苦手なひとは注文するときに「入れないで下さい」と頼んでおいたほうが良いです。香草って東南アジアだけで使うものかと思っていましたが、中華料理にも結構よく使われるようです。「パクチー入れないで」が現地語で分からない場合は、屋台などでは食材がケースに入っていて見られるようになっているので、店員さんとカウンターまで一緒に行って「(苦手なものを指差しながら)NO!」と言えば分かってもらえます。
今回は食べ物のことで終わってしまったので、次回はFinalでその他「焼き物」のこと等を書きたいと思います。

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July 23, 2005

バックパッカーのススメ~北京近郊編~Ver.3

学会の発表当日、会場に行くと外国人(欧米人が多かった)がたくさんいて、すごく緊張しましたが、発表はなんとか上手く(?)こなすことが出来ました。しかし、困ったのが「質疑応答」です。これは発表のあと、座長の先生が「先ほどの発表について、ご質問はありませんか?」と聴衆にたずねて、質問に答えるというものです。一応、想定される質問に対する答え方もカンペを作っていたのですが、答え終わると「ありがとう、わかりました。さらに質問ですが、この部分の仕組みはどうなっていますか?」と質問が来たりします。カンペを用意してなくて答えられなかったり、英語での質問の意味が分からなくて往生しました。幸い、座長の先生が日本の方だったので、「こういうことを訊いておられるよ」と通訳してくださったり、聴衆席にいるM助教授が「私が指導教官の者ですが、代わってお答えします」と助け舟を出してくださったりして、なんとか乗り切れました。いま思い出しても脂汗が出ます。
発表が終わり、聞きたい公演も聞き終わるとM助教授が「お疲れ様。まあ、よく出来たほうだね。明日、万里の長城でも行ってみようか」と言って下さいました。もちろん快諾し、その夜はM助教授に中華料理をご馳走になりました。これが美味かった!「辛いほうが好きです」と伝えたので、辛い系のお店に連れて行っていただき、たくさん食べました。激辛ではなく程よい辛さで、「日本で食べるのとはどっか違うなあ」と感じたのを覚えています。青島(チンタオ)ビールや紹興酒も美味しかったです。これは日本で飲むのと同じ味でしたが、発表が終わった開放感で、より一層おいしく感じたのかも知れません。
翌日は、朝10時くらいにホテル前にタクシー(プジョーだったと思います)が来てくれていて、M助教授と乗り込んで、一路、万里の長城を目指しました。中国人ドライバーは猛烈な走りで、当時はまだ自転車が多かった市街地を、「轢く気?」というようなスピードで飛ばして行きます。それは郊外に出て山坂道に入ってからも同じです。
私「ずいぶんスピード出すけど、大丈夫?」
運ちゃん「大丈夫さ!気分は悪くないか?」
私「怖いですけど、酔ってはないです」
運ちゃん「だろ!?プジョーだからね!」
という感じで走り続け、2時間ほどで目的地に着きました。プジョーの猫足ってスゴイなあ、と違う意味で感心しました。
万里の長城は、頑丈そうな、石組みの壁が見渡す限り延々と続いていました。壁と言っても厚みが数メートルもあり、その上は通路になっていて、観光客が歩けるようになっていました。「スゴイもんを作ったな~。大変だっただろうな~」という平凡な感想でしたが、行ったことのある方には「そうそう!」と同感していただけると思います。人工衛星からの写真に写る、というのもうなづけます。私はあまり遠くまで歩きませんでしたが(キリが無い!と思ったので・・)、すんごい遠くまで歩いて行っちゃってる人もいて、豆粒のように見えました。
万里の長城から帰って、またM助教授にご飯をご馳走になっていると、「○○君、頑張ってくれたから、2週間くらい中国を観光して来たら?ホテル代は出して上げるし、宿の心配はしなくていいよ。お小遣いも気持ちだけだけど上げるから」と言って下さいました。もし、バックパックが壊れていなかったら、北京は数日だけ滞在して、あとは電車であちこち移動しながら観光したかったのですが、スーツケースでは身軽に動けません。そこで、「ありがとうございます。じゃあお言葉に甘えて、帰りの航空券の期限ギリギリまで、今のホテルに居ていいですか?」と恐る恐る言うと、「今のホテルは、学会の名前で取ってあるから、もうじき出ないといけないんだ。もっと中心街で、いいホテルが無いか、探しておいでよ」と言われました。そこで私は泊まっていたホテルの相談窓口(コンシェルジェでしたっけ?)に行き、事情を説明して適当なホテルを紹介してもらい、下見に行きました。簡素だけどアジアっぽい良い感じのホテルだったので、予約窓口へ行き事情を話すと「部屋はシングルでよいですね?空いてますからお待ちしています」と言ってもらいました。
次回は北京郊外編の”食”について書きます。 by satoru-ball

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July 21, 2005

バックパッカーのススメ~北京近郊編~Ver.2

当時、中国への入国にはビザが必要でした(今はどうなんだろう?)が、手続きはすべて大学の事務局でやってくれました。パスポートを預けて、返ってくると、なんか判子を押したカッコイイ紙が貼られていました。
北京への出発前夜、荷物の最終チェック(論文、カンペ、OHP、発表用スーツ、着替え、洗面用具、ウロツキ用20Lザックなど)を済ませ、新しく買ってきた60Lバックパックに荷物を詰めていました。一回ではうまくパッキングできず、やっと収まったところで、一番外側のバックル(プラスチック製の留め具)を締めようとしたとき、なななんとバックルがボキッと折れてしまいました。たった1回でですよ!悪口になるのでザックのメーカ名は出しませんが、イニシャルはJ.W.です。
このままでは出発できません。でも出発は明日。お店までザックの交換に行く猶予はありません。慌てて私はnora姉のところに電話をしました。すると「今回は私のスーツケースで行ったら?まだ終電あるでしょ?」と言って、スーツケースを貸してもらえることになりました。バックルの壊れたザックを背負って、電車で1時間ほどのところに住んでいたnora姉の家に着くと「これくらいの大きさでいいよね?」とスーツケースを用意してくれていました。荷物をスーツケースに移し変え、その日は姉宅に泊めてもらい、翌朝なんとか無事に出発することが出来ました。
空港でM助教授と待ち合わせて、飛行機に搭乗。最初は緊張していましたが、「○○君、タダだからどんどん飲んで」とお酒などを勧められるがまま飲んで、いい気分で北京の空港に降り立ちました。
入国手続きのゲートの所まで行くと、すごい行列。しかも全員が「我先に!!」って感じ。なんていうか、中国人の熱気みたいなものを早くも感じました。しばらく大人しく行列に並んでいたのですが、そのうち英語でアナウンスが流れました。私はうまく聞き取れなかったのですが、M助教授が「学会関係者は○番のゲートで優先して通してくれるみたいだよ。行こう」と教えてくださり、あっさり通過できました。
入国ゲートを出ると、「△△学会ご一行様」というプラカードを持った人が待っていて、指示に従って大型バスに乗り込みました。どうやら日本からその学会に行く関係者は、皆その飛行機に乗っていたみたいです。
バスがホテルに向けて出発してしばらくすると、バスの前後にパトカーと白バイが付いていることに気付きました。「おっ!俺たちってVIP?」とミョーに嬉しかったのを覚えています。パトカーの護衛は、ホテルから学会会場の行き来のときにも常に付いてくれました。あんな体験、初めてでした。そしてたぶん、今後もないでしょう・・・。
ホテルに落ち着くと、M助教授と発表の最終練習をしました。練習が終わると、「○○君、このホテルはプールとか色々あるみたいだから、遊んでリラックスしてきたら?」と言ってくださいました。確かに立派な、スライダーまで付いた大きな室内プールがありましたが、独りで遊んでもちっとも楽しくないので、すぐに部屋に戻り、また発表の練習をしました。
いよいよ英語での発表は明日。緊張しつつも旅の疲れのためグッスリ眠れました。
あんまり旅行の話が出て来ないまま、Ver.3につづく。 by satoru-ball

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July 19, 2005

バックパッカーのススメ~北京近郊編~Ver.1

あれは大学院の1回生のときだったと思いますが、担当して下さっていたM助教授が「○○君(私の本名)、英語で論文を書いてくれない?こんど北京で学会があるんだよ。そこで発表する論文。一緒に行こう。旅費もぜんぶ出して上げるよ」という話を持ちかけてきました。海外旅行にタダで行かれる!という話に乗らないわけがありません。私はよく説明も聞かないまま、「書きます!」と即答しました。
それまで、日本語の論文や前刷りはたくさん書いていましたが、英語は初めて。私は早速、大学の生協に行き「英語論文の書き方」(そのまんまのタイトルですね)を購入しました。そして、まずは自力で勉強して、2週間ほどかけて論文を書き上げました。
それを助教授のところに持っていくと「じゃあ、チェックするね」と言って受け取ってもらえましたが、数日して「○○君、何を言おうとしてるのか、僕ひとりで読んだんじゃ分からないんだよ。今日から夜、一緒に校正しよう」ということになりました。それから1週間あまり、夜になって学部生たちが帰ると、M助教授と私は机の上に原稿を置いて、一文一文チェックするという作業を始めました。
M助教授「この文章は何を言おうとしてる?」
私「これはこういう意味です」
M助教授「ちょっと違うな~。もっと違う単語があるでしょ?辞書引いてみて」
私「これですかね?」
M助教授「あ!そっちのほうがいいね!」
こんな感じで夜な夜な深夜まで校正作業が続きました。私の書いた原稿は、見る見る赤ペンで真っ赤になっていきました。M教授は優しくて、「お腹が空いたでしょ?これで何か買っておいで」と言ってお金をくれ、私か、残っている学部生に頼むかして、夜食を買ってくれたりもしました。
そんなこんなでM助教授と私の校正作業も終わり、赤ペンの入った所をワープロで書き直すと、次はM助教授が英語を習っていた外国人の方のチェックが入りました。ここでも赤ペンは入りましたが、それほど修正箇所は多くなかったと思います。
こうして、英語の論文は書き上がったのですが、M助教授から衝撃の事実を伝えられます。それは「○○君、発表も自分でやってみるか!もちろん英語だよ」。ガーン!
しかしタダ旅行のため。今度は「英語口頭発表のしかた」という本を買ってきて、論文発表の仕方、グラフの説明の仕方、質疑応答の仕方、決まり文句などを勉強しました。そしていわゆる「カンペ」を作り上げました。他の大学の学生は、これを丸暗記させられていましたが、M助教授は「いいよ、これを読もう」と言って下さいました。助かった~というのが本音でした。
旅行の話が出て来ないまま、Ver.2に続く。 by satoru-ball

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July 17, 2005

バックパッカーのススメ~出発まで~Ver.3

航空チケットの手配が済んで、出発日が近づいてきたら、荷物の準備を始めます。
まずは必要なものを集めてきて、部屋の床にばらまきます。基本的には、衣服の着替えやコンタクトレンズ、洗面道具やカメラなどですが、目的地で何をしたいかによって他のものも引っ張り出してきます。例えばスキューバダイビングをしたいならゴーグルとスノーケル(レンタルも出来ますが、サイズが合わないとツライので)とか、水遊びをしたいなら水着が必要です。
また、東南アジアの安宿に泊まる場合、ベッドはあっても布団は無い場合が多い(私は300円/泊くらいのところにしか泊まった事がない)ので、シーツを持って行きましょう。暑い土地とはいえ、お腹が冷えては大変です。
バックパックに荷物を詰めることを「パッキング」と言います。私は最初、「重たいものを下から順に詰めていけばいいだろう、安定するし」と思っていましたが、これは後日、登山をやるようになって「山と渓谷」という雑誌を読んで、間違いだと気付きました。正しい基本は「軽いものは下に、重たいものは上に」です。さらに「すぐ取り出したいものは一番上に」というのも大切なポイントです。これを守ってパッキングすると、20kgくらいの荷物なら、ラクラク背負って歩けます。また、バックパックに慣れないうちは、ザックのどこらへんに何を詰めたか、を簡単なメモにして持っておくと、手探りでザックから所望のものを取り出すことが出来て便利です。
私はヨーロッパなどを旅する時は、ザックを二重構造にしています。つまり60リットルのザックの中に、まずは現地でしか使わないような物を詰め、その上に機内持ち込み用の20リットルくらいのザックもしくはウエストバッグを入れるのです。こうすると空港までの行き来はザック1つで済みますし、現地についてからは60リットルのザックは宿に置いたままにし、20リットルのザックを行動用にして、トレッキングや観光を楽しむことが出来ます。
雨季に旅をするなら、「ザックカバー」というバックパックをすっぽり覆ってしまう、防水性のカバーがあると重宝します。これはバックパックの大きさ別に売られているので、自分のバックパックに合うサイズのものを探します。以前は登山道具屋さんでしか見かけませんでしたが、最近はAlpenなんかでも買うことが出来ます。
つぎにバックパックの背負い方について説明します(そんなの常識だ!という方は読み飛ばして下さいね・・・)。まずはナントカシテ背中までザックを背負い上げます。女性の場合は20kg程度でも大変だと思いますのでコツを紹介します。少しお行儀が悪いですが肩幅に足を広げて膝を曲げます。そしてまずは両腕を使って、ザックを利き腕のほうの膝の上まで引っ張り上げて載せます。つぎに利き腕を肩ベルトを通します。そのあとすかさず両肩ベルトを通してしまいます。そしてウエストベルトをはめてみて長さを調整し、腰骨の辺りだけでザックを支えられるようにします。少しキツめくらいがちょうど良いです。この時まだ肩ベルトは緩んだ状態です。腰骨で支えられたら、肩ベルトを調整しザックの背面と自分の背中の間に少し空間が出来る程度まで締めます。最後に、必要ならばチェストベルト(胸の前で止めるベルト)を、息が楽に出来る程度に締めます。要するに、「ザックは腰で背負う。肩は補助的に使う」ということが大事です。肩で背負ってしまうと、長時間歩くときにすぐ肩が痛くなってしまいますが、腰で背負えばそんなことはありません。
パッキングが終わると、いよいよ出発日を待つのみです。「想定外の仕事が入りませんように・・・」と祈るような気持ちで当日を待ちます。突発の緊急業務が入らないようにと願う日々を思い出すと、いま考えてもドキドキしますねぇ。
出発までの準備としては他に、トラベラーズチェック(T/C)の購入や旅行保険の加入がありますが、これについては空港で出来てしまうし、「地球の歩き方」などに詳しいので省略します。
「出発まで」編はこれでお終いにして、次回からは旅行先でのことを紹介して行こうと思います。ただ、それほどたくさんの国に行ってないので、ネタがもつかな・・やや心配ナリ! by satoru-ball

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July 16, 2005

バックパッカーのススメ~出発まで~Ver.2

Ver.1でいきなり空港からのお話を書いてしまったので、今回から2回に分けて出発までの準備について書きます。
海外旅行にどうしても必要になるのは、パスポートと航空券です。パスポートについては色んなサイトで紹介されていると思いますので、今回は航空券の手配について紹介します。
まずは旅のだいたいの予算を決めます。つぎに、格安航空チケットを扱っているお店へ行きます。私はH.I.S.さんを愛用しています。そこで「○○万円で2週間くらい東南アジアを(あるいは行きたい国を指定してもよいです)放浪したい」と伝えます。すると、お店のほうで調べてくれて「○月の下旬ごろ、タイ航空利用のバンコク往復で○万円のチケットがありますよ」と教えてくれます。
ここで注意しなければいけないのが、チケットの種類です。航空チケットには「オープン」と「フィックス」の2種類があります。オープンチケットは、購入時に”出発日”だけ決めて出国し、帰りたくなったら海外の現地で航空会社のオフィスに電話するなり赴くなりして「何日に帰りたいが席は空いてますか?」と交渉し、”帰国日”を決めることができます。一方、フィックスチケットは格安チケットを購入する時点で”出発日”と”帰国日”を決めなくてはなりません。自由はききませんがその分、安いです。
初めてバックパッカーをやるなら、フィックスチケットの購入をお勧めします。現地の航空会社と”帰国日”の交渉をするのは、もちろん英語でなので大変です(特に私は英語が得意ではないので・・・)。行きと帰りの日が決まってしまいますが、2週間もあれば数ヶ国を回って元の空港に戻ってくることは簡単です。
旅に慣れてきたら、オープンチケットを使ってみましょう。「帰国日を決めなくてよい」というだけでも、ワクワク感というか開放感が違います。でもオープンでも「2ヶ月」とか期限は決まっていますので、その日を忘れないようにします。でないと現地で再び、帰りだけのチケットを買う必要が出てきます。英語で格安チケットの交渉をする・・・幸い私には経験がないですが、想像するだけで足がすくみます~。
格安チケットを購入しても、その場では航空チケットはもらえません。後日、自宅に「引換券」が送られてきます。引き換えカウンターの場所や時間が同封されているので、それに従って出発する空港の引き換えカウンターに行くと、初めてチケットの現物がもらえます。このとき、たいてい気分はすでにハイになっていますが、チケットに記載されている名前などは必ず確認しましょう。もし間違いがあると、出国検査でもめたりする場合があります。 by satoru-ball

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July 13, 2005

バックパッカーのススメ~出発まで~Ver.1

私には従姉のnora姉という、添乗員をやっている人がいます。nora姉はイギリスに留学したりしていて、そこから当時まだ田舎に住んでいた私のところに、絵葉書を送ってくれました。その影響もあってか、大学院卒業のころから、私も海外旅行にちょくちょく行くようになりました。
この「Backpacker」という新規カテゴリでは、その放浪旅行について書いていきたいと思いますので、よろしくお願いします。
普通の旅行と放浪旅行の一番大きな違いは、「泊まる場所」「食べ物」「観光ルート」を自分で現地で調査・調達しないといけないことだと思います。要するにすべてのことを自分でやらないといけません。よって身軽に動けないとお話しになりません。ですので普通の旅行に行く人がおもに「スーツケース」を持っていくのに対し、放浪旅行に行く人は「バックパック(いわゆるリュックサックですね)」を使います。
BPidetachiafこれは私が東南アジアなど暑い土地に旅行するときのイデタチです。背中に背負っているのがバックパックです。これは80リットルのものですが、暑い土地に数週間くらいなら40リットルで十分です。このときは、タイから入ってマレーシア、シンガポール、バリ島まで約2ヶ月の旅だったので、大きなバックパックを背負っています。寒い時期にヨーロッパなどに行く場合は、衣服が増えたりするので、80リットルのものを使います。私は容量の違うバックパックを3つ持っていますが、すべて英国のKARRIMOR(カリマー)社製のものです。理由は・・・国民性が信用できるから、かな?とにかく旅の途中で壊れたらオシマイですから、信頼性と実用性を重視しています。
お腹に巻いているのがウエストバックです。と言っても容量は20リットルあり、中にはnora姉から教わったとおり、荷物が紛失した場合(ロスト・バッゲージ)に、無くては困るもの(予備のコンタクトレンズ、常備薬など)や、機内を快適過ごすためのもの(スリッパや耳栓、文庫本など)を入れてあります。
履いていくのは、Danner(ダナー)という会社の、ゴアテックスで完全防水された靴(ダナーライト)です。足首まで支えてくれるので、重い荷物を背負っていても足元がフラツクことはないし、第一どんな大雨が降っても濡れません。また私は、海外でも山岳トレッキングやジャングルトレッキングをしたりするので、そのときにも重宝する靴です。
出発する空港では、まず、チケットを予約した格安チケット会社(私はH.I.S.さんにいつもお願いしています)のカウンターに行き、チケットを受け取ります。つぎに手荷物検査を受けます。これをパスすると、検査係の人が「問題ない」みたいなことを書いたシールを貼ってくれます。私はこのシールを、バックパックの手で下げる部分に貼ってもらうようにしています。理由はあとで。
この荷物を持って、いよいよ空港会社のカウンターに並び、チェックインします。しかしバックパックの場合、スーツケースのような鍵は付いてないので、何かのはずみでバックル(留め具)が外れたり、あるいは意図的に中身を物色される可能性もあります。BPhousouafそこで私は、チェックインの前に、バックパックを丸ごと黒いビニール袋に入れて、ガムテープでぐるぐる巻きにします。なんだか爆発物みたいに見えますが、上記の「問題ないシール」が見えるように貼ってあれば、預かってもらえます。このために私はそのシールを、手で下げる部分に貼ることにこだわるのです。ただ、例のテロ以降、私は海外に行っていないので、今でもこの手が使えるかは分かりません。
現地に着いて、荷物が出てきたら受け取って、まずは空港にあるインフォメーションに行きます。ここで、安くて観光にも便利な宿はないか、とかその土地の美味しい食べ物はどんなものがあるか等の情報をもらいます。無料です。宿に電話して予約までしてくれる場合もありますが、たいていは地図と電話番号を書いた紙をくれます。これをもって、まずは宿の調達に向かいます。by satoru-ball

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